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モモの音楽日記柳琴&阮

 院生演奏会・その7 11.9.20

 今年の院生たちの演奏会、いよいよ民楽最終日。目当ての中阮の学生の他、笙の学生の演奏会もちらっとご紹介します。


 
♪林彦吟(笙) 碩士卒業演奏会♪

 笙といえば日本にもある管楽器です。古式ゆかしき日本のものと違って中国の笙はあちこち改良がくわえられており、外見も音量もより大きく、メカニックな感じがします。

 演奏者の林彦吟は台湾からの留学生。「彦」という感じが入っているから男の子かと思ったら女の子でした・・。

 パンフレットもちゃんと配布してくれましたが、さすが台湾人。可愛いデザインでつい手元に置いておきたくなりますね。


林彦吟演奏会パンフ
    
  
 以下、演奏曲目。
1. 微山湖船歌  簫江, 牟善平作曲
2. 秦王破陣楽  古曲 張之良編曲 
3. 泰郷風情   王慧中作曲(注:泰は本来はイ+泰
4. 鵝鑾鼻之春  盧亮輝作曲
5. 静夜思    簫江, 雷建功作曲
6. 望夫雲的伝説 張暁峰, 高沛作曲

 笙の生演奏は在学中ちょくちょく聴きましたが、独演会としてまとまって聴く機会はそうありません。ピアノ伴奏あり、ダブル揚琴伴奏あり、そして秦王破陣楽は迫力の打楽器伴奏(この曲にはこれがなくっちゃ!)で、飽きさせない工夫もされていました。

 特に「鵝鑾鼻之春」は高音・中音・低音の三種類の笙の重奏でした。合奏などでそれぞれの音色は知ってはいるものの、ちゃんとした演奏者同士の重奏は初めて。各パートの特色が生かされたアレンジも楽しく、なかなか面白く聴かせます。

 在学中、上音には特別優秀な男子学生がいて、完璧に近い知的でシャープな演奏をいつも聴いていたため「いまの笙ってこんな感じの音」と思い込んでいましたが、この台湾の林彦吟の演奏はもっと柔らかい、昔っぽい音がしますね。

 言い方を変えれば「キレの弱い、大ぶりの演奏」かもしれませんが、少なくとも「観客を楽しませる」という姿勢が十分に感じられた舞台でした。

  ♪林彦含(中阮) 碩士卒業演奏会♪

 
さて、演奏会最後は中阮の学生。・・・名前、気がつきました? そう、笙の学生、林彦吟と一字違いでしかも文字のパーツは同じという、粋なネーミング。実は彼女たち、一卵性双生児なのだとか。 
 

林彦含演奏会パンフ
    
  
 演奏は全部で四曲。
1. 山韻     周U国作曲
2. 幽遠的歌声  陳文傑作曲
3. 山歌     劉星作曲
4. Three Colors  A.Fakinos作曲
 
 むむ、いきなり「山韻」ですか! この曲は三楽章から成る協奏曲で、20分にも及ぶ大曲。ボリューム的にも技術的にも、プログラムの最後に持ってくるのが普通だと思うのだけど。
 
 演奏会が終わってから本人に直接訊いてみたのですが、いわく「最後にすると疲れて弾けなくなるから、いっそ最初に持ってきて、後の演奏がリラックスできるようにした」とのこと。なるほど、それも一理あります。
 
 さて「山韻」。冒頭、重厚さを感じさせる低音の響きが腹にずんと・・・来るはずなんだけど。軽っ。随分あっさりした冒頭部分。演奏会も始まったところで、いまいち気分が乗りきれていないのかもしれない。結局、第一楽章はあまり陶酔しきれない状態で終了。
 
 第二楽章は快板で、テクの見せどころ。この楽章はけっこうイキイキと楽しげな様子で、早い音符の連続する中にちゃんと旋律もくっきり浮き出していたし、楽章の中の構成も考えて演奏していますね。圧倒的な迫力・・とまではいかないまでも、某演奏家のCDの演奏よりはメリハリが効いていたと思います。
 
 第三楽章は前の二章で提示されたモチーフを総括する内容なので、さらに大きくゆったりと力強い演奏・・になるはずなのですが。ちょっとテンション下がったまま終了してしまいましたね。第二章で体力も気力も使い果たしてしまったのかな。残念。
 
 次の「幽遠的歌声」は新疆系の曲調で、個人的に大好きな曲です。伴奏の手鼓も悪くない感じでからんでいて、危なげなく楽しめた一曲でした。個人的にはもう少しドラマチックに盛り上げて欲しかったですけど。


幽遠的歌声
    
 「山歌」は、先の黎家棣も演奏していましたが、ややギターっぽい、非常にかっちょいい小品です。ただ快速部分がやたら多いので、You Tubeなどで演奏をみても結構ミスタッチが多い、もしくはミスが無くても必死で弾くせいで音楽性が二の次になっている演奏者が多い、リスクの大きい曲といえるでしょう。
 
 でもひょっとすると、この演奏会の中で一番よかったかも。彼女はこの曲だけは音楽と身体の動きが自然に一致していたのです。他の曲はそれなりにちゃんとした演奏ではありますが、まだ消化しきれていない、自分のものになっていない感じがしました。でもこの曲では、実は途中ミスタッチも多かったのですが、その快速部分でさえ歌が存在していました。
 
 最後の「Three Colors」は中阮と管弦楽団の為の小型協奏曲で、この演奏会のために委託創作された曲のようです。伴奏がMIDIだったのでちょっと残念でしたが。
 
 西洋音楽の作曲家が民族楽器の独奏曲を書くとき、例えば二胡はバイオリン、笛はフルートなどとイメージしやすい楽器に置き換えて作曲することは多いと思います。が、実際は音楽文化が違えば表現方法も違うので、「ただの西洋の旋律を中国の楽器で演奏してるだけじゃん」という違和感のあるパターンに陥りがち。
 
 それでもまだ単音の楽器はマシなほうです。弾撥楽器、特に琵琶や柳琴、阮といったリュート系の楽器はイメージしにくいのか、楽器の本領を発揮できる曲を書ける作曲家は多くありません。メロディを単音で弾くんだったら他の楽器でもいいんでは?と思います。
 
 たとえば中阮の協奏曲といえば、昔は劉星の「雲南回憶」、今は「山韻」を演奏することが多いようです。これはつまり他に突出した名曲が少ないということでしょう。なかなか新曲が出ない、というのも民族楽器の世界の悲しい現状ですね。
 
 で、この「Three Colors」、いわゆるニューエイジ・ミュージック(死語?)とでもいうのでしょうか、現代的な、西洋の、美しい曲、という印象でした。・・・言い方を変えると、中阮らしさがほとんど発揮されていない、つまんない曲でした(笑)。
 
 まあこれは作曲者のせいだけでなく、演奏者のせいも多分にあると思います。例えば今まで聴いたことのない新曲をいかに解釈し、表現するか。これはとても難しいことですが、曲が素晴らしくなるかならないかは、すべて演奏者しだい。
 
 新曲を魅力的に演奏できるかどうか、演奏家の音楽センスが問われるところですが、残念ながら大師と呼ばれる演奏家でも残念な人は多いですね。あと時代による流行なども関係してきますし。
 
 さて林彦含、彼女はちゃんと歌心のある演奏家ということもわかりましたし、技術的にも割と安定していると思います。新曲も今後たくさん弾きこんで、進化させていくことはできるはず。将来に期待!
 
 彼女には台湾に帰った後も、どんどん活躍の場をひろげていって欲しいですね。なんたって、あの呉強老師の弟子、なんですから。
 

 
 院生演奏会・その2 11.6.6

 
♪簡略化される卒業演奏会♪

 大学院生は卒業までに2回の独奏演奏会を行うことになっています。前にマレーシアの同学の演奏会レポートでも紹介しましたが、たいていは費用の関係で学校内のショボいホールを使用しつつも、中身はちゃんとした正式な独奏音楽会でした。
 
 たとえば、衣装はクラシックなドレスを着用、来場した観客にはプログラムを配布。また演奏会の為に委託創作した新曲や、そこまでいかなくとも新しくて難易度の高い曲、またゲストを呼んでアンサンブル演奏を2曲ほど入れたりと、本科生とは一線を画した選曲で、途中休憩を挟みバランス良くかつ聴きごたえのある演奏会を、というのがまあ常識。
 
 もともと柳琴の同学の開演時間が朝9時半からと聞き、えらく早い時間から始めるんだな〜とは思っていました。普通ならリハの時間も考慮の上、午後や夜に開演のはず。演奏会シーズンだし、採点する先生方の都合が合わなかったのかな。
 
 上海在住の同学いわく、「10時半からはもう一人の柳琴と、午後からは古箏の劉楽の演奏会があるよ。あとは目ぼしい学生はいないけど」???・・・どういう事?同じ日にいったい何人の演奏会があるわけ?
 
 どうやら院生が増加したせいで一人一人正式な演奏会を開く時間や会場の確保が難しくなったらしく、朝から夕方まで1時間単位で時間を区切り、数日間で集中して行うことにしたようです。でもこれでは本科生の試験と同じで、ちっとも院生らしくありません。自然と学位修得に対する意識も軽いものになってしまうのでは?

 ♪唐一斐 柳琴碩士卒業音楽会♪

 さて今回の旅行のメイン、柳琴専攻の同学による演奏会です。


レベルの高い演奏
    
  
 まずは弦楽四重奏の静かな前奏から始まる一曲目、柳琴組曲「仲冬夜歌」。初演かどうかはわからないけど新曲ですね。事前に配布された曲紹介によると、仲冬すなわち陰暦十一月の夜の情景になぞらえ、心を表現したとあります。全部で12の楽章から成り、この日はそのうちの8楽章分が演奏されました。
 
 ハーモニーがとても綺麗な曲です(チェロが度々音をはずしていたのが残念)。特に柳琴とバイオリンそれぞれが始めから終わりまでハーモニクスで掛け合いをする第4楽章などは、ささやきながら対話しているみたいで、あまりに美しくてとろけそう。
 
 他にもずっと和音ピチカートばかりの楽章があったり、ほとんど八度ばかりの双音トレモロが延々続いたり、ただ旋律が美しいだけでなく楽器の特性を生かしつつ、新しい技巧も取り入れた曲作り。作曲者でありこの日の指揮もしていた孫暢氏、なかなかやりますねえ。次回作が期待されます。
 
 2曲目は無伴奏で徐昌俊作曲の「剣器」。杜甫の剣舞を詠んだ詩を題材にした、既に柳琴(最近は中阮での演奏も多いです)のスタンダード・ナンバーと言える曲ですね。
 
 この曲の初演は呉強老師。曲の繊細かつ大胆なイメージを定着させただけでなく、クレジットはないけれど共作者と呼んでいいでしょう。ラストまでの一気呵成感、有無を言わせず畳みかけるような風格は老師ならではのもの。
 
 しかし技術的にはすごく難しいというわけではないので、これは老師の弟子だからということでの選曲なのか、はたまた時間合わせか・・・。
 
 ピアノ伴奏の3曲目は、雲南の少数民族の旋律。どこかで聞いたような、と思って終演後尋ねると(プログラムなるものは存在しなかったので。)、劉文金作曲の柳琴協奏曲「酒歌」とのこと。
 
 そういや少し前に中央民族楽団の張?華の演奏をYou Tubeでフルオケ伴奏バージョンを聞いたところでした。・・でもこんな迫力満点の曲だっけ?
 
 そう思って再度聞き直してみると、ほとんど別の曲のよう。まあ張?華は男性だし昔のスタイルで演奏する方なので、それはそれかなぁとは思いますが・・・特に快速部分は再生スピードの違うテープを聞いているような錯覚が(笑)。
 
 呉強老師系の演奏スタイルは確かにカッコいい。ただ個人的にはそれが必ずしもベストとは限らないと思っています。しかし両者の「酒歌」を比較してみると、唐一斐の演奏は旋律にしろ対比にしろ非常にはっきり表現されていて、メリハリが利いているのも確かなのです。
 
 唐一斐のテクニックの高さには定評があり、例えばつい最近出版された老師の高級練習曲集を評するに「あの唐一斐でさえ録音するのを躊躇するほど」超むずかしい、などと超絶技巧の代名詞がわりに用いられるほど。
 
 そんな彼女が弾くからちゃんと美しく聞こえますが、実はかなり難易度が高いテク満載。何気なく弾いているように見えてもメロディの流れを途切れさせない為にどれだけ意識して指を保留させ余音を残しているか。
 
 ホントに「ここまでやる?」というほどに一つ一つの音を文字通り「確実に」出す、それができるのも彼女の高い技術力あってのこと。またテクニックだけでなく音楽性も、呉強老師の名を辱めないレベルの高さだと思います。それに至るまでの努力と精神力には頭が下がりますね。
 
 構成についても、もちろん本人の演奏についても、碩士(=修士)卒業にふさわしい演奏会でした。彼女のように優秀な演奏者には、今後もどんどん活躍してもらいたいです!

↓ちなみに張?華の柳琴協奏曲「酒歌」の演奏はこちらで観ることができます♪
第一樂章 《美景 放歌 迷人》
http://www.youtube.com/watch?v=5dH65hkFvFA
第二樂章 《月光 起舞 醉人》
http://www.youtube.com/watch?v=uY_MM9AY_Hg&NR=1


 上海三泊四日ツアー・その6 08.8.5

 ♪中阮コンサート♪

 さていよいよ今回の旅行のメインである、中阮コンサートの話を。


  なかなかオシャレなポスターです
 
 彼はマレーシア華人の留学生で、名前を蔡為忠といいます(なんだか訓読みすると鎌倉武士みたいだなあ)。ポスターには『Neil Chua』とありますが姓を広東語読みするとChuaになるのかな?。メールをくれる時のネームは『Neil Tadashi』となぜか日本語読みが混じってますが(笑)。
 
 彼は高校卒業後に上音の本科を受ける準備のため、私より半年ほど前に留学生寮に来ました。なので知り合ってかれこれ7年ほどになります。同じ楽器(・・みたいなものですよ、柳琴と中阮は。私も中阮弾いてましたし)同士なのもあり、練習しているとちょくちょく遊びに来てくれたり相談に乗ってくれたりしたものです。
 
 現在は本科を卒業し、大学院で学んでいます。彼は中阮を始めたのが比較的遅く、そのため技術に関してずっと悩んでいたようです。一時期練習しすぎで手を壊し、長い間レッスンを受けられなかったこともありました。
 
 しかし今では中国人の本科生よりよっぽどいい演奏をします。というのは彼は感性がとても良くて、ひとつひとつの音の処理が丁寧なのです。確かに幼少のころから学んでいると指もよく動き、技術的には申し分ない人も多いのですが、感性に関しては天性のものですから。
 
 為忠はポスターを見ればわかると思いますが、ちょっとフェミニンな感じの、線の細い男の子。そーいえばちょっとアイドルグループ、嵐の二宮和也くんに似てません?下のショットなんて特に。


  コンサートの招待状・・・似てる?
 
  テレビで初めて二宮くんを見たとき、「あっ、為忠がいる!!」と思いましたもん。背格好とか首のすわらないゆらっとした感じ(ファンの方すみません)、為忠にそっくり〜。ついでに言うと、テレビでIKKOさんを見る度うちの老師を思い出したりして。髪型とか頭の上にグラサン載せてるところが似てる〜(顔は 全然違いますけどね)どんだけ〜(笑)。
 
 ま、似てるかどうかはおいといて。演奏の方も力強いというより男性のふところの深さ、プラス女性的な繊細さを感じさせて、ちょっと中性的。また本科生時代は劉波、現在はうちの老師と2人の先生に指導を受けたというところも着目点のひとつ。成長が楽しみな逸材です。
 
 この日の演奏曲目は下記のとおり。
 
 1. 絲路駝鈴・・寧勇 曲
 2. 暁霧・・・・梁在平 曲
 3. バッハ無伴奏チェロ組曲BWV1007
 4. 周二聚会・・劉星 曲
 5. 塞外音詩・・顧冠仁 曲
 6. 山韵・・・・周U国 曲
 
 う〜ん、新曲が少ないなあ。バッハと「周二」以外は本科生時代に何度も演奏済みの、彼にとっては十八番の曲ばかり。大学院卒業までにもう一度演奏会を開かなければなりませんが、今回はとりあえず無難にまとめた、というところでしょうか。


 
 
 一曲目の「絲路駝鈴」、もともとは大阮の独奏曲ですが中阮で演奏されることも多い、阮の定番曲。技術的に難易度は高くありませんが、表現力が試される曲でもあります。本科入学時代に比べ、明らかに重量感が増して内容が濃くなっているのが進歩の証拠。
 
 二曲目の「暁霧」も、音数が少ない中で空間の広がりを出すのが難しい曲です。元は古箏の曲を林吉良が阮用に編曲したものですが、余韻が大きい古箏の響きを中阮でいかに再現するか。
 
 おそらく昔はじめてこの曲を習った時、彼は自分ならどう表現するか、考えに考えたことでしょう。元の古筝バージョンがどんなのか知りたくて、古筝専攻の留学生に原曲を弾いてもらったとも聞きました。硬さがとれなかった以前の演奏に比べ、ちょっと余裕が感じられる・・かな。
 
 三曲目のバッハチェロ組曲。クラシックの曲って一曲の時間が長いですよね・・。演奏者にとっても体力と気力が必要でしょう。予定ではこの曲をトップに持ってくるはずだったようですが、いきなりこの曲だとちょっとキツかったかも。
 
 原曲からどのくらい改編が加えられたか聴き比べていないのでわかりませんが、少なくともチェロとは調弦が違うので、チェロの為に作曲されたこの曲を中阮で弾くためには、当然無理な指法を沢山使っているはず。
 
 にもかかわらず流れを途切れさせずに余韻を残すために保留指を駆使していて、奏でる音は単音でありながら手はずっと和音を押さえている状態。淡々と弾いているように見えて、実はなかなか疲れるワザです。
 
 四曲目は中阮四重奏「周二聚会」。劉星の作品は一曲は入るだろうと予想してはいましたが、まさか四重奏とは。為忠以外の中阮は、呉強老師の学生トップ3の面々が弾いており、覚えやすいフレーズを軽快かつノリノリで歯切れよく仕上げていました。原曲はもう少し柔らかい感じだけど、呉強軍団のプロデュースだと自然とこうなるのかな・・。


 息もばっちりの四重奏(Mさん提供)
 
 ピアノ伴奏ではじまる五曲目、「塞外音詩」。顧冠仁はとても弾撥楽器のことを理解している曲作りをするなあ、といつも思います。楽器の奏法を存分に、それ も無理なく発揮させるのが上手いんですね。ただそのためか、メロディも古典的すぎて皆をあっといわせる冒険もないのが玉にキズ。
 
 六曲目の「山韵」。中阮の独奏曲はたくさんありますが、演奏会にふさわしいような、派手で一定の難易度と長さがある曲があまり多くありません。以前なら演奏会といえば劉星の「雲南回憶」でしたが、最近ではこの曲が演奏されることも増えました。
 
 もともと三楽章から成っていますが、第二楽章に第一楽章のアタマをくっつけて単独演奏されることも多く、この日もそのバージョンで、伴奏はピアノ。
 
 山の静けさ、滴り落ちる水、一陣の風に破られる静寂。流れる川が下りていくにしたがって水量を増し、奔流となって大海に向かっていく。無限の如き反復が少しずつ姿を変えていき、どんどんエネルギーが高まりやがて爆発する、まるでビデオでも見ているように目の前にひろがる光景。何度聴いてもかっこいい曲です。
 
 為忠の演奏は、特に慢速部分は十分に感情が投入され、音の出し方や動作にも彼のセンスの良さが感じられます。快速部分は音の粒がやや均一でない部分はあったものの、スピード感もあり、最後までどきどきしながら聴かせてもらいました。
 
 私が在学中に、彼が奨学金獲得のコンクールに参加する前に「ちょっと聴いてほしいんだけど」と、この曲を弾いてくれたことがあります。すぐそばで聴いたせいか、「気」みたいなのが身体から放射されていて、演奏もですがそっちの方がすごいなと思いました。
 
 今回は舞台に立っているという緊張も当然あるでしょうし、本来なら問題ないはずの部分をはずしてしまった箇所も多いはず。いつもの彼の本分が百パーセント発揮できていなかったのと、今日はその「気」があまり感じられなかったのが残念でした。
 
 以前うちの老師が某音楽祭のゲストとして来日した際、この曲を演奏されました。触れれば崩れ落ちそうな静の部分と、文字通り怒涛のように迫ってくる動の部分の対比、そしてその圧倒的な存在感に鳥肌だった記憶があります。
 
 舞台と客席で距離が離れているのにもかかわらず迫ってくる「気」。会場全体が水をうったように静まりかえって、ただただ老師の音楽を聴き入っている、はりつめた緊張感。これだけ沢山の聴衆をとりこにするには、一体どれだけの「気」が放出されているのやら。
 
 それを考えると、為忠の演奏は他の学生と比べても十分に抜きんでていますが、それでもまだまだ若いんだなと思います。これからもたくさん経験を積んで、もっともっと素晴らしい演奏を聴かせてほしいですね。きっと彼ならできるに違いありません。


 終演後、皆に囲まれてモテモテの為忠くん♪
 

 存在感の大きさ   08.2.26

 「T同学がコンサートで中阮ソロ曲弾くみたいなんだけど、行く?」とH同学。
 
 H同学は呉強老師に中阮を習っている、シンガポールの留学生です。「うん、せっかくだから聴きたいけど、何のコンサート?」「いや、よくわかんないんだけど」
 
 ソロを弾くというT同学は、呉強老師の学生の中でも特に優秀な、柳琴専攻の四年生。しかも今回は柳琴でなく中阮を弾くみたいなので、めったにない機会で す。以前レッスンでちらっと中阮を弾くのを見たけれど、「柳琴ぽい中阮」でした。きっとあれから成長しているに違いないし。
 
 会場は金茂音楽廰。ってあの高い展望台のある金茂大廈の中? コンサートホールなんてあったんですね〜。どうやら小じんまりとしたホールのようだし、アンサンブル形式みたい。
 
 チケットはH同学が買ってくれているので、地下鉄で待ち合わせして会場へ。受け取ったチケットを見ると「『天地之間』半度室内楽団現代中国音楽演奏会」とありました。・・『天地之間』って、ひょっとして・・!?「そう、劉星よ」とH同学。
 
 劉星も上海音楽学院出身者。もともと月琴専攻だったのが、途中作曲専攻に転科し、以来作曲家兼演奏家として、たくさんの作品を発表し続けています。
 
 特に自作自演による中阮協奏曲「雲南回憶」全三楽章は、それまでの概念をくつがえし、中阮の持つ新しい可能性を引き出したとされ、今なおよく演奏される作品です。まあ中阮は協奏曲などの大作が少ないので、どうしても曲が限られるのですが。
 
 節目単の紹介を見ると、この楽団は2006年に結成したばかり。メンバーはもちろん劉星を中心として、琵琶の湯暁風や二胡の姚新峰をはじめ、計7名のほとんどが上海民族楽団の若手です。
 
 若手メンバーをセレクトしたのは、クセが強すぎず、敏感な反応ができて、なおかつ自分の味も出始めている人材が必要だったのでしょうね。
 
 しかし載せられた写真にはくだんのT同学が中阮を手にして写っているのに、メンバー紹介欄には別の台湾人の名前が。うそ〜、元はといえば彼女がソロ弾くってんで聴きに来たのに。
 
 でもまあナマ劉星の演奏が聴けるのは滅多にない機会だし、とりあえずはお手並み拝見といきますか。わくわく。


  コンサートパンフ
 

  半度室内楽団(パンフより)。右手前が劉星
 
  劉星が得意とするのは現代音楽。家にはとりあえず彼のCDはそろえているものの、私はこのジャンル苦手でありまして・・正直に告白しますが演奏会が始まってしばらくは何度か寝そうになりました(笑)。
 
 劉星の曲は二曲しか弾いたことがありませんが、最初はピンとこないけれど弾けば弾くほどどんどん夢中になるように思います。
 
 一般の曲はどうしても何本かのメロディを追って肉づけしていくので、丁度おかずが変わってもご飯はご飯、という感じ。
 
 でも彼の曲はそういうのではなくて、あっちを噛んでもこっちを噛んでもそれぞれに「あれっ?」という味が出てきて最初は戸惑いますが、噛んでいるうちに段々と味がまとまってくる、というか。どんな味なのか考える過程がまた楽しいというか。
 
さてこの日のプログラム。
 
≪無字天?≫系列
 1.曲一
 2.曲二
 3.曲三
 
 4.琵琶独奏: 覇王卸甲
 
≪山有扶蘇≫系列
 5.一息尚存
 6.高音簫
 
 〜休 憩〜
 
≪山有扶蘇≫系列
 7.無形之剣
 8.地下森林
 9.柴市節
 
10.中阮独奏: 山歌
 
≪天地之間≫系列
11.組曲
12.天地之間第二号
 
 中阮独奏は、台南芸術大学の潘宜丹が担当。この「山歌」は私も習いましたが、延々と続く16分音符に途中で息切れしていつも最後まで弾き切れなかった、私にとっては羨望と痛恨の入り混じった曲でもあります。
 
 そういや隣の部屋に住んでいたH同学が「その曲、めっちゃカッコいい!私もやりたい!」と言って、私が練習し始めると隣の部屋で同時に弾かれたり、「一緒に練習しよ♪」と部屋まで押し掛けたりされたっけ。他の人がナマで弾くとどんな感じになるんだろう。
 
 と大いに期待したのですが。確かに技術はとてもしっかりしていて、楽譜の指定速度よりはるかに速く弾いているのですが、残念ながら・・・。
 
 慢板がずいぶんあっさり。いや確かに伝統曲じゃないけど、もう少し何かが欲しいところ。そして間奏も繰り返しも弾かず、すっとばして終了。これではどこにタイトルの意味が表れているんだ?T同学ならどう弾いたのか知りたかったなあ・・。
 
 さて演奏会も進むにつれ、だんだんと聴きやすい曲が増えてきました。最初はやや硬かったメンバーの表情もほぐれ、音にも勢いが出てきます。
 
 CDではМIDIが多用されていますが、ライブでは一切使わず、すべて生の民族楽器を使用。ライブならでは、生の楽器同士ならではの絡み合い、密度の濃淡、等々が緊迫感と共によく伝わってきました。
 
 劉星はずっと大阮を担当。大阮、中阮、琵琶、二胡、笙、笛子(簫)、打楽器という編成でしたが、不思議だったのは、普通なら琵琶と笛の音だけ突出して浮いたように聞こえるはずなのに、曲によってはとても溶け込んでいて違和感がなかったこと。
 
 中和する楽器、すなわち二種類の阮と笙が編成の半分を占めるからなのか、それとも演奏者の感性と技術が高いからなのか、はたまた劉星の配器が巧妙なのか。
 
 劉星がМCでも触れていましたが、昔はこういうアンサンブルを結成して練習しても演奏の場がなかったとのこと。こうやって彼の作品をライブで聴ける、現在の恵まれた環境に感謝すべきですね。
 
最後はちゃんとアンコールも二曲やってくれまして、そのうちの一曲はなんと江南絲竹の「雲慶」。へええ、このメンバーで絲竹なんてニクいな〜。
 
 若手ばかりなのでややスマート気味ですが、ゆったりとした聴き慣れたメロディ。そして快板に移る時、それまで見守っていた大阮が突如参入した瞬間。・・音が、変わりました。
 
 それまで淡くぼんやりした感じだったのが、大阮、いや劉星が入った途端に、輪郭がはっきりして引き締まっただけでなく、大阮が全部の楽器の音を包み込んでそのままぐいぐい引っ張って行きます。
 
 劉星自身は全身の動作もほとんどなく、淡々とぶっきらぼうに弾いているように見えるのに、出てくる音のなんと力強く、ツヤのある、表情豊かなこと。
 
 知っている曲を聴いたことで、改めて劉星の弾く大阮のすごさ、そして存在感の大きさを認識しました。普通の人が大阮を弾いても、こうはいきませんものね。ほんと、脱帽です。

 東方雅韵・阮&柳琴コンサート   08.2.12

 さて演奏者の情報も何もないままのコンサート。でも「阮・柳琴専場」なんてのは滅多にないし、とりあえず行くことにしようかな。同学達も誘ってみよう。
 
 以前北京の柳琴学会で一緒だった河南省出身の師妹(=妹弟子)、去年から上音で呉強老師に柳琴を習っているのですが、実はこっそり内緒で中阮を別の老師に習っていたりして。
 
 彼女に電話すると「チケット買うのちょっと待って!!老師が近いうちに出演があるって言ってたの、ひょっとしたらそれかも。今晩もう遅いから明日聞いてみるね」。
 
 とはいえコンサートは明日の昼。この時点ですでに期限切れでプレイガイドではチケット購入できず、あとは師妹かダフ屋頼み。全部で四人分のチケット、手に入るんだろうか。
 
 不安になりつつ当日師妹とおちあうと、開口一番「モモ聞いて!老師がチケット2枚くれるって!!」やったあ♪でもちょっと待てよ、彼女の中阮の老師って確か・・劉波・・うわぁ。
 
 劉波。阮弾きなら知らない者はいない演奏家。その昔、上音初の阮専攻の卒業生で、現在は上海民族楽団で活躍されています。ちなみに御主人は最近お亡くなりになった笛子演奏家、兪遜發だったりする・・。
 
 無事チケットも手に入れ、会場で配られたプログラムを見ると、やっぱり阮は劉波の独奏。柳琴は・・許暁蕾。確か最近に上海民族楽団に来た奏者だったような。
 
 許暁蕾は瀋陽音楽学院出身で、周常花の弟子らしい。劉波も周常花も師匠は林吉良だし、その辺のつながりかな? 何にせよ、期待せずに来たコンサートの割には楽しめそう♪


  浦東にある東方芸術中心
 
  一曲目は柳琴の「木綿花開」。この曲は開始から凄まじい勢いでガンガンたたみかけていく、オープニングに相応しい曲です・・が。勢いが過ぎて二弦目がゆるんでしまった!
 
 あちゃ〜。伴奏があれば間奏の間に調弦できるけれど、伴奏なしのため間奏部分まで全部独りで弾いているので直すヒマがない。動揺が演奏にも影響してしまい、ちょっと可哀想。でも最後まで止まらず弾き通しました。
 
 二曲目は中阮の「松風寒」。劉波のナマ「松風寒」が聴けるなんて嬉しいなあ。家にこの曲が収録されたCDはいくつか持っていますが、どのテイクも全く違っていて面白いのです。
 
 この「松風寒」は唐詩を題材に古琴の手法を模倣した曲で、劉波の演奏は(テイクにもよりますが)他の人に比べいい味出してますね。彼女の演奏は激しさや鋭さにやや欠けますが、懐の広い、深い感じが持ち味だと常々思っています。
 
 しかしこの日の「松風寒」は・・ちょっとあっさりで物足りなかったなあ。まあ登場一曲目だし、劉波が一人でМCをやっていたのもあり、曲の世界に入り込みにくかったのかも?洞簫の伴奏は広がりがあってよくサポートしていたのですが。
 
あとのプログラムは、次の通り。
・「剣器」(柳琴)
・「臨安遺恨(=満江紅)」(中阮)
・「絲路駝鈴」(大阮)
・「雲南回憶・第一楽章」(中阮)
・「ツィゴイネルワイゼン」(柳琴)
・「潮郷行」(中阮)
 

  許暁蕾の剣器(以下、演奏写真はH同学提供)
 

  劉波の絲路駝鈴
 
 柳琴は二曲目からは自分のペースを取り戻したようですが、全曲無伴奏なのはツラい。「剣器」はもともと無伴奏であるべき曲ですが、「ツィゴイネルワイゼン」はピアノ伴奏があった方が引き立つし、最後にふさわしい感じがするのに。
 
 「臨安遺恨」は逆にピアノ伴奏があまりにひどく、引き立てるどころか落としてました。あまり中国音楽を理解していない伴奏者だったようで、合わせもほとんどやっていない様子。大阮の「絲路駝鈴」も劉波の十八番なのに、今日は慢板と快板の対比がいまいちでした。
 
 「雲南回憶」は劉波ではなく、韓雪という学生の演奏。あれ?韓雪は呉強老師の学生だったはずなのに、何で劉波の演奏会に出てるの?・・後で同学に尋ねると、今季から劉波の学生になったそうで、その辺りの経緯をこと細かく話してくれました。う〜ん色々あるのね・・。
 
 「潮郷行」は噂には聞いていたけど、聴くのはお初。中阮の二重奏で、上海民族楽団の伴奏でした。アンサンブルであっても楽隊が入るとやはり豪華ですね。


 中阮二重奏
 
 劉波はもちろん、許暁蕾もちゃんとした奏者だし、選曲も問題ないし、本来ならとてもいいコンサートができたはず。でも実際は不満足感が残り、ずっしりとした手応えのない、スカスカな内容になってしまいました。
 
 これはもう準備不足の一言に尽きると思います。最後の「潮郷行」はそれなりに練習したのでしょうが、あとの曲に関しては「いつも弾いているレパートリー曲を特にコンサート用に練習することなくそのまま弾いた」感じ。
 
 許暁蕾はちょっと頑張ってた気もしますが、ただそのまま弾くのではなく、伴奏を入れる等の「聴かせる工夫」があれば大分違うのに。その辺は劉波の方が慣れているようですね。(でもピアノ伴奏はひどかった・・)
 
 せっかくの良い素材でも、下ごしらえに手を抜いたり調理方法が良くなかったり盛り付けが美しくないことにより、料理を不味くしてしまう。勿体ないことです。
 
 まあ日本ではその逆の、素材がそんなに良くなくともうまく見せるのも多いようですが・・観客は本場の味を知らないですからね。

 指法、弾法 07.4.23

 すっかりネタも古くなりましたが、前回ふれた中央放送楽団の奏者を見ていて思ったことを少し。

 楽団の柳琴奏者は2人いて、一人は崔軍E、そしてもう一人は曹楊という少し若い奏者でした。崔軍Eの姿は指揮者の陰に隠れていたのでほとんど見えませんでしたが、それでも時折見え隠れする肘の動きから察するに、2人の曲に対する感性の違いが表れていたように感じました。

 ふたりは同じメロディーを弾いているはずなのに指法がかなり違っているのです。崔軍Eは極力同じ弦上をポジション移動し、ひとつのフレーズ内の音色を統一しようとしているのに対し、もうひとりの曹楊は、内弦を使って合理性を優先させているように思いました。

 もっとも、ソロと違い合奏だと音色の違いはわかりにくいし、主旋律以外はあまり気にする必要はないのでどちらが正しいなんてことはないのですが、それでもフレーズ感を大切にする崔軍Eに、ソロ奏者としても活躍する彼女の姿勢やプライドみたいなものを感じずにはいられなかったのでした。

 楽器を演奏する際に気をつけることのひとつに、この指法(運指、つまり指使い)があります。指法をどう設定するかによって、演奏をスムーズにするだけでなく、表現にも差が出てきます。

 恥ずかしながら、私は中国の弦楽器を学ぶ以前はピアノしか習ったことがありません。ので他の楽器のことはよくわからないですし、習った楽器についてもそんなにエラそうに講釈をたれる立場にはないのですが・・・。

 少なくともピアノに於いては、楽譜の要所要所に指番号が振ってあり、幼かった私はあまり意味も考えず、楽譜通りに弾いていました。私のレベルが低かったからでしょうか、単に幼いので理解できないと思ったからでしょうか、先生がその事について説明することもありませんでした。

 二胡を習い始めて、先生が曲を下さる時、毎回楽譜に記されている指法や弓法をご自身の手で直したものを渡されました。滑音や装飾音の追加ならともかく、何で決まっているものをわざわざ変える必要があるのだろう?と思い尋ねると「こっちの方がいいから」とだけ言われました。

 そこで、自分で元の指法と先生の指法を弾き比べて見ると、随分感じが変わることに気がつきました。以降、何曲か習ううちに、先生のクセらしきものが少しづつ見えてきて、この時はこう弾くだろうという見当がつくようになり、自分でも「これはこうした方がいいのではないか」等といったこだわりが出来てきました。

 二胡の場合、弦が二本しかないので、ひとつの音を出すには内弦か外弦のどちらかしかありません。でも音楽はひとつの音だけで成り立っているのではなく、前後があっ はじめて流れが出来ます。前後の音をどうやったらスムーズにつなげられるか。弾きやすく、しかも旋律が活きるようにしてやらなくてはいけません。

 でもプロの演奏を聴いても、何でこんなところで換弦やポジション移動するんだろう、フレーズが分断されちゃってるよ、なんてことも少なくありません。多少流れが悪くなっても便利さを優先するか、不便で弾きにくくなっても流れを優先するか。

 また二胡は右手の弓法によっても表情がかなり違ってきます。分けるかつなげるか、推弓にするか拉弓にするか、弓を使う長さや場所やスピード等をどう配分するか、演奏者の腕のみせどころ。両手共それぞれうまく配分された演奏を見ると、とても気持ちがいいですね。

 柳琴や阮、琵琶といったリュート系の楽器は、右手の弾法に関しては二胡より制約があります。もちろん力加減や角度、弾く場所等に変化をつけることによって音色も変化しますが、リズムによって弾(ダウン)と挑(アップ)の組合せの大半は決まってしまいますし、演奏者の自由度は低いように思います。

 でも左手の指法は、単旋律で二本弦の二胡と違い、四本弦で和音が発生するぶん複雑になります。一瞬でその和音に移動する為、ある程度は便利さを優先させなければなりません。ピアノや揚琴、古筝ならばひとつの音はその位置でしか音は出ないので選択しようがありませんが、リュート系の楽器だと左手で音の高さを決めるので、その弦の数だけ選択肢があることになります。

 柳琴や阮を弾くようになり、楽譜に記されている指法を見てリュート系楽器特有の考え方を漠然と理解したものの、確かめるすべがありませんでした。周りには習っている人がほとんどいないし、そういう人に尋ねても「別にどっちでもいいんちゃう?」と言われるし。

 CDを聴いても、二胡ならば音の変化がわかりやすく、どう弾いているか聴けば大体想像できるのですが、柳琴や阮ってそもそも自己流で弾いてたんで音色の違いとかもよくわからんし・・。

 上海に留学しようと決めた時、これでやっとちゃんとした専門の先生について何でも尋ねられるんだ! ・・と、とにかく嬉しかったのです。

 一時期、呉強老師が指法についてとてもこだわっておられたことがありました。レッスン時、次回までにこの曲をやってくるように、と宿題を出された時、一週間のあいだじっくり楽譜を見て、こちらからいろんな質問ができるように準備しておく必要があります。

 指法に関しても色んなやり方を試してみて、何通りもパターンを考えます。この「視譜」については、二胡だと大体パターンが決まっているのでたいして時間はかからないのですが、柳琴だとそういうわけにもいきません。まあ、相手がキョーフの呉強老師ってこともありますし(笑)、ここはきっとこう突っ込まれるだろうから、と傾向と対策を練っておかないと。

 そしてレッスン時、まずはベストと思われる方法を弾いてみる。老師の反応が芳しくない場合は、「じゃあこれではどうでしょうか」と色々弾いてみて、老師がどの方法を選択するかによって、老師がどういう考えに基づいたのか、どの音を活かす為にそう決定したのか、だいたい想像がつき、とても勉強になります。

 でもこれだけ周到に準備したつもりでも、よく「ふん」と鼻で笑われ、想像もつかなかった指法を提示されることがあります。また、楽譜に書いてある指法で、「ここはこの通りでいいかな」と思って素直に弾くと、「何の疑問も持たずにそのまま弾いて、それがベストかどうか他の方法を考えもしなかったの!?もっと頭使いなさい!!」と怒鳴られることも。

 他の西洋楽器ってどうなんだろう? と上音の授業で、グループレッスンですがクラシックギターを一年ほど習ったことがあります。その時の印象は、まず何かしらコードを押さえた上に音を足していく、というもので、中国の楽器のようにまずメロディーがあって和音が付随していく、という考え方とは別物のように感じました。

 帰国した今も、柳琴や阮をどのように活用していけばよいのか、ずっと模索中です。伴奏などで中阮を使用する機会も多々あるのですが、結局は和音を鳴らしてギターと変わらないようなアプローチしかできないのです、私の今の能力では。

 結果、「ギターとどう違うの?」と思われ、中国楽器ならではの魅力を皆に伝えることができず、悩む毎日です。ソロを聴いてもらえれば違いは一目・・いや一聴瞭然なのですが・・・本当に自分の力不足を感じますね。

 台湾のYさんのこと 07.1.9

 それは私が休学を終え、復学した頃のこと。当時の留学生寮はホテルを兼ねていましたので、よく外国人客が宿泊していました。私が住んでいた3階の部屋はトイレやシャワーが共同なので、知らない同士でも自然と挨拶したり、といった雰囲気がありました。

 滞在客の中で、私より年が少し上らしい「オバねーちゃん」くらいの女性がいました。お向かいのマレーシアの学生と結構親しく、話し声や顔つきからすると南方系の華僑かな?何日かすると部屋から時々琵琶を弾く音が聴こえてきたので、きっと短期で音楽を習いに来たんだな、と察せられました。

 いつものように部屋で柳琴を練習していると、ノックする音が。くそ〜ジャマすんじゃないよっ!と思いつつ扉を開けると、そこに立っていたのはそのオバねーちゃん。「入っていい?」何なんだ突然!? 「あなた日本人って聞いたんだけど、どうして柳琴を習おうなんて思ったの?」これまた唐突な質問に、こっちはタジタジ。

 このオバねーちゃん、Yさんは台湾人で、もともと琵琶教師なのですが、台湾では柳琴の需要が増えてきて、市場開拓(?)の為、柳琴も本格的に習おうと大陸にやってきたのだとか。国にダンナと子供2人を残し、少し前まで王恵然(一言でいうと柳琴の父、です)のもとで住み込みで数ヶ月修業してきたというツワモノ。そーか、直で王恵然に学びに行ったか〜すごい! さすがの私もこのパワーには負けますわ・・。

 しばらく経って本格的にレッスンが始まったらしく、毎朝8時になると柳琴の、昼からは琵琶の音が聴こえるようになりました。短期滞在なので学校の練習室は使えない為、隣の部屋のスリランカの同学はいい迷惑。いつも「上手だったら我慢できるけどあれじゃ騒音よ〜」と愚痴をこぼしに来ます。まあね、きっと私の両隣の住人も私の出す騒音に耐えているんだろうなあ(笑)。

 ふたりは何といっても兄弟弟子の関係ですし、二ヶ月も経つと随分と親しくなりました。レッスンの内容について情報交換したり、二人で琵琶職人の家にお邪魔しに行ったり。歳が近いのもあり、彼女も私も話し好き。彼女曰く、「若い子達と喋ってても、自分の言いたいことだけパッと言って、内容がないんだよねー」うん、わかるわかる。すぐに話題が移って、じっくり掘り下げていくことがないんだよね。そんな二人がいったん話し込むと、真夜中まで喋っていることも。

 彼女はとても研究熱心で、練習中もよくピックの角度やら色んな事で質問され、討論したものです。いつだったか、ある柳琴の独奏曲の中に出てくる親指ピチカートについて議論が白熱し、「このフレーズはベトナムの独弦琴を模倣したものでしょ、だったら直接彼らに聞けばいい!」と、もう夜も遅いというのにベトナムの同学の部屋に押しかけ、実際に独弦琴を弾いてもらったり、なんてこともありました。各国から留学生が集まる寮だからできる贅沢、ですね。

 好奇心旺盛な彼女の質問に答えながら、逆に教えられたことも少なくありません。特に柳琴は専攻している学生自体少ないですし、質問しようにも周りに誰もいないのですから。柳琴のこと以外にも台湾の状況など、いろんな話を聞かせてもらいました。

 若い頃ならともかく、私と歳もあまり違わなくて、しかも小さな子供までいるのに、大陸で学ぶ為に何ヶ月も故郷を離れる。これはなかなかできることではありません。けれどその分、目的がはっきりしていて能動的で、必死で学んでいる。そんな姿に共感を覚え、自分もそうありたいと思うのです。中には、一体アンタ何しに中国に来たの?と首をかしげたくなるような、あまりに受動的な人を時々見かけますものね。

 やがて三ヶ月が過ぎ、Yさんの帰国の日が迫ってきました。久々に家族の元に帰れるからでしょう、とても嬉しそう。でもせっかく仲良くなったのに名残惜しくて、帰国前々日は酒を飲みながら(そう、私もたまには飲むのです)夜中の3時まで語り合ってしまいました。そしてその時判明した事実。・・・彼女は私より二つも年下だったのでした・・・ショック。

 Yさんは台湾に帰国後も寮に電話をくれたりして、私が帰国した現在もメールでやりとりしています。その後もフランス語を学ぶ為にパリに留学(!!)したりと、相変わらずバイタリティあふれる毎日を送っているようです。時間の都合がついたら台湾に会いに行って、彼女の元気を分けてもらわなくっちゃ。

呉強老師来日!!<後編>  06.11.6

 来日3日目。この日、老師は某新人コンクールのゲストとしてご出演。夕方からの出演時間に間に合うように、同じく上音出身のMっちを伴って会場である中之島公会堂にもぐりこみました。インドネシアやベトナムのゲストやら、グランプリの過去受賞者やらの演唱があって、やっとわが呉強老師が中阮を手にご登場! 待ってました!!

 司会から二言三言質問があり、中の「この楽器をどのくらいされているんですか?」 との問いに老師曰く「二十多年」・・・・ん、ちょっとサバよんでませんか老師!? まあ21年でも29年でも「二十多年」といえるけど・・・。

 国外ゲストの面々は、翌日開催される「服部良一生誕100年記念 大阪音楽祭」の為に招聘されていて、それにちなんで老師の元には服部良一の曲を演奏するよう依頼があったのだとか。その曲とは「蘇州夜曲」と「青い山脈」の2曲でした。

 「蘇州夜曲はそんなに考えなくても自由にアレンジできるんだけどね、青い山脈はなかなか浮かんでこなかったわ」と老師。確かに「蘇州」はホテルで聴かせてもらった時も毎回弾き方が変わる変わる。基本的にはしっとりと、でもしっかりと中阮の持つ余韻のまろやかさや厚みを発揮させつつ、老師の持ち味である激情もプラスして、美しいアレンジで仕上がっていました。

 「青い山脈」は最初編曲を作曲科の学生にやらせて、その中から使えるフレーズのみ使ってあとはご自分で書き換えられたそうな。面板や弦を叩いたりなんてのもあって、この辺はどう見ても好看好听をモットーとする老師ご自身のアレンジでしょう。そのまま弾くと確実にアカ抜けないであろうこの曲が、かっちょいい曲に大変身。老師、あなたカッコ良すぎです・・・。

 翌日はいよいよ大阪音楽祭当日。何でもこのコンサートの整理券を手に入れるため、ものすごい数の応募があったそうです。というのも、メインゲストは五木ひろし!! 私らにしてみればそんなのどうだっていいんだけど(笑)会場に入るとおばちゃん達が席取りしてるしてる。まあ国民的歌手ですもんね。呉強老師が目当てなんて人は、私と同伴のTさんの二人くらいでしょうきっと。

 「青い山脈」が流れだし、幕がさっと上るとゲスト達が皆曲にあわせ歌ってる!!その中に老師も・・・!! そう、マイクを手に、曲にあわせ頭や体を揺らしたりしています。他のゲストはみんな歌手なので一生懸命歌ってましたが、老師はいかにもぎこちなく、不本意そうなのが伝わってきます。気の毒とは思いつつ、引きつった老師の顔を見ていると、つい笑いがこみ上げてきましたわ。はは。

 舞台では老師は「蘇州夜曲」の他に、中阮の独奏で「山韵」の第一・第二楽章を演奏されました。この曲は三楽章から成る協奏曲で、特に第二楽章は難易度が高いことで演奏家に人気のある曲です。実は私は老師がこの曲を演奏されるのを聴くのは初めてです。というより本場中国においてさえ、呉強老師の独奏が聴ける機会はめったに無いといっていいでしょう。

 この「山韵」自体は某演奏家のCDにも収められているし、上海でも学生が弾くのを何回か聴いた事があるので、大体の印象はありました。しかし老師の演奏は、それらをはるかに超えた迫力でした。気迫というか、オーラというか、全然格が違うといいますか。中国語でよく「感染力」と言うのがぴったり来るような、息を呑んで聴き入らずには居られない、圧倒するような力が発せられているのです。現に五木ひろし目当てのおばちゃん達も、かたずをのんで見入っていたようです。

 弾き終わり、大きな拍手が沸き起こった時、やっと会場全体の緊張が解けた感じでした。相変わらずすごいや老師! そばでTさんが「モモちゃんて、すごい先生に習ってたんやねえ」。・・・ほんとにその通り。そのすごい先生のツメの先くらいでもいいから、あやかって上手になれればいいのにな。

 次の日は安徽省でのコンクールの審査があるから、とゆっくり観光される間もなく帰国された老師。滞在中ずいぶん振り回されたけど、それでもこんな不肖の弟子のために色々と手を回してくれたり、沢山のアドバイスもくれたりと、気を使ってくださった事も多々あって、卒業しても老師は老師なんだなあ、と嬉しく感じました。

 久々に聴いた演奏も、帰国後ぼんやり過ごしている私にとって大いに刺激となり、それから3日間程は練習にもすごく気合いが入ってました(一週間はもたなかったけど・・・)。百分の一、いや一万分の一でもいいから、老師に近づけるよう頑張らなくちゃ、ね。近いうち上海に短期レッスンに行ける様、頑張って練習します! 老師再見
〜♪

呉強老師来日!!<前編>  06.10.2

 < *****お知らせ*****
今年も、元所属していた中国民族楽器の楽団、オーケストラ華夏の定期公演に助っ人出演しています。日時・会場等くわしくはオフィス・エー演奏会情報のページをご覧くださいね。 >


 ひゃ〜びっくりした。呉強老師から突然「明日から日本に行くから!!」と電話が。しかも続けておっしゃることには、「電話カードがあと2分くらいしか話せないから、そっちから掛けなおしてね!」・・・・(笑)相変わらずだなあ、老師。またこういう時に限って、以前購入した格安国際電話カードが見つからず、泣く泣く正規の値段でかけ直すハメになったのでした。

 何でも大阪での音楽祭にゲスト出演されるらしく、中阮は自分のを持参するけれど、柳琴も持っていくと重くて不便だから貸して欲しいとのこと。その他もろもろ、「んじゃ明日ホテルに落着いたら連絡するから!」で終わるまで、久しぶりなのでついつい話し込んでしまいました。ああ電話代が・・・。

 いよいよ来日当日。昼過ぎの便だと聞いていたので、いまかいまかと待ちながら自宅待機。そして2時半過ぎ、ようやく電話が。「話もあるし、6時から食事だから早めにいらっしゃいね」はいは〜い。「あ、食事の時にいろいろ人を紹介してあげるから、アンタも来るのよ!!」・・・・えっ、ちょっと待った。そんな事考えていなかったので、楽器も2台持っていくし、と思っていつものジーパンにシャツで出るつもりだったのに! その後あわてて服を出し、アイロンをかけ、顔・・はこれ以上綺麗にはならないのでせめて身なりだけでもちゃんと(ったって私の場合知れてるけど) して・・・出掛けました。

 宿泊は中之島のリーガロイヤル。う〜、駅からめちゃ遠いやん!! 昨日の電話では演奏会場もホテルも不明だったので下調べしようもなく、どこから送迎バスが出ている、なんていう事も全然知らなかったので、何だかずいぶんうろうろした挙句、ホテルに着いたのは5時頃でした。「すみませ〜ん、随分遅くなっちゃって」「全然遅くない、大丈夫」・・・あれ。老師、何でそんなに優しいの。上海ではいつも自分は遅れてくるくせに、私が約束時間に3分ほど遅れただけで「遅い!!」と咎められたってのに(笑)。

 私が日本に戻ってから、はや2ヶ月。ついこの間のような気がするのに、老師の顔を見るととても懐かしい気持ちでいっぱいになりました。でも「あれ、パンツなの?てっきりワンピースでも着てくるかと思ったのに」と早速服装チェックがかかったのには、思わず苦笑したけど。そしてそれから食事までの間、短い時間でしたが沢山話をしました。考えてみれば、いつも忙しい老師、レッスン以外にゆっくり語り合う機会もほとんどありませんでした。ちょっと幸せ♪

 夜は、作曲家のMS先生が食事に招待してくださって、そこでいろんな方々をご紹介いただきました。聞くところによると、呉強老師がかなり私のことを「とても真面目で優秀な学生だ」と宣伝してくれていたらしい。はは。上海ではあれだけ「下手くそー!!」と怒鳴られてたのにね(笑)。

 翌日は、先生が「人にあげるデジカメを買いたい」と言ってたので、朝から梅田のヨドバシカメラにいき、それから共通の友人でもあるオフィス・エーの中田さんと食事・・・のはずだったのに、ホテルに着くと「やっぱりここに行きたいんだけど」と、見せられたのはBAOの劉一くん(メンバーは皆上音出身だもんね)から届いた「ここは面白いからしょっちゅう行くんです」のメール。そこに書かれていたのは宗右衛門町のドン・キホーテ。・・・をいっ、それなら昨日のうちに一言知らせてくれよっ!!そしたら下調べできるのに!!

 「昨晩、これからの予定を打ち合わせしていた時、皆さん老師がどこに行きたいか尋ねてらしたじゃないですか。どうしてその時言ってくれなかったんですか?」と責めたら、「だって皆に悪いじゃないのよ〜」とのご返事。・・・私だったら遠慮いらんのかいっ!?

 幸いメールに住所が書かれていたので、ホテルのコンシェルジェに大体の場所を聞いてタクシーで行ったのですが、出掛ける直前も、ホテルからの電話料金や電話カードの事を尋ねられたのでロビーで聞いたり、中田さんとの待ち合わせ場所の変更の電話をしていたら、「早くしてよ〜店で買い物する時間が短くなっちゃうじゃない」・・・言うかそこまで!!!

 老師の目当ては、安売りブランド品。でも店内では気に入った型が無くて、色々見たけど結局何も買わずじまい。そうこうしているうちに待ち合わせの時間がやってきて、中田さんと対面。この面々・・・思えば今をさること6年前の2000年秋、私が留学を決意し準備のため会社を辞めてすぐの頃、日中音楽祭のため大阪に上海音楽学院の先生方が来日されました。その時、中田さんに助けてもらってホテルまで呉強老師を訪ね、直訴に行ったのです。お陰で上音でも他の先生に振られることなく、老師に教えていただけることとなりました。

 そして6年後の今、お互いに6年分トシをとって、たくさん経験も積んで、またこうやって同じ三人が同じ日本の大阪で顔をあわせていることに小さな感動を覚えました。あの頃は私は中国語が話せなくて、中田さんや他の方に通訳してもらってたっけ。今もちゃんとは話せないけど、老師のジョークに突っ込めるくらいには進歩したんだなあ・・。

 しかし。食事の後、この日は私には友達と会う約束があって、本来ならホテルまで送ってそこで別れる予定だったのですが、そこで老師が「今日レセプションで演奏するんだけど、どの服がふさわしいと思う?」なんて聞くもんだから部屋まで行ってあーでもないこーでもないと論議し、「国際電話カード買いたいんだけど、掛け方わかんないから試しに中国まで掛けてみて〜」と言われロビーの公衆電話で何度も試し、気がつけばかなり予定時間を過ぎてしまったのでありました。あ〜あ。中国人のお相手はなかなかに大変なのであります。
 

  呉強師生コンサート 05.6.20
 

  呉強研究室の演奏会が行なわれた蘭心大劇院

 呉強教学研究工作室民族音楽会 2005.3.26 於: 蘭心大劇院

 うちの老師、最近すごく忙しいらしい。気のせいか喋るスピードも速くなったような。無理もない、3月4月は受験の季節、大学や付属の試験前に老師にレッスンをお願いする学生が多くなります。なのに演奏会まで開いてしまうなんてまあ・・見るからにずっと疲労の色濃い老師でありました。

 「教学研究工作室」って何かなあ・・・老師は柳琴や中阮のレッスンの他に、学内の古箏の重奏や絲弦五重奏の指導なんかも担当されているので、それに参加している学生達と共に、活動を広く紹介しようというのが演奏会の目的のようです。

 残念、呉強老師は中阮の演奏

 まずは柳琴と中・大阮による弾撥合奏で「ルスランとリュドミラ」序曲で開幕。呉強老師を囲み大学の本科生たちと付属中学の学生、計8人での演奏ですが、一糸乱れずとはまさにこれで、呼吸の動作がぴったり一致してました。なおかつ強弱の対比がお見事。

 二曲目からいきなり真打ち・・つまり呉強老師の登場。あれれ、中阮なの?柳琴じゃないの?うーん残念、実は私は今まで一度も老師の "柳琴の" 舞台演奏を目にした事がないのです。過去に上海で柳琴を演奏される機会があったにもかかわらず、たまたまその時私は帰国していて舞台が観られませんでした。来日された際の演奏もいつも中阮でしたし。

 曲は「絲路駝鈴」。元々は大阮の曲ですが、中阮で弾くことも多い、阮の名曲です。かつ、老師の十八番なんですよね〜。新彊風格のこの曲には手鼓の伴奏がつきもの。伴奏は古箏専攻の三年生の同学がつとめていたのですが、またこれがすごいの何のって、ここで絶対息を合わさないとダメだろ、という所ではずすわ、途中で手鼓落っことすわ。ダメですよ老師、ちゃんと曲を理解している同学に叩かせないと。肝心の中阮演奏? うーん、マイクの位置が悪いのか、新しい中阮だったからか、がつーんと響いて来なかったですねえ。

 やや精彩を欠いたか学生の演奏

 続いては学生達の独奏。まず唐一文の「ツィゴイネルワイゼン」。彼女は沈貝怡(新日記7参照)に続く呉強老師の秘蔵っ子No.2で、付属高校から今年本科に入学したばかりの学生です。沈貝怡の正確さ、冷静さに比べ、彼女の演奏は情熱的ですがリズムなど細かい所がやや乱れがち・・というのが以前の印象でしたが、CD録音の経験を積んだのも手伝ってか、北京の柳琴学会での演奏(トリですよ、トリ! )ではほとんど完璧に近い演奏でした。

 事前に聞いていた話では、彼女は楽団をバックに「雨後庭院」を弾くはずだったのですが、事情により(理由はのちほど・・)楽団の演奏が出来なくなったため、急遽ピアノ伴奏で「ツィゴイネル〜」を弾く事になったようです。そのせいか北京の時に比べ、やや精彩を欠いていたような。

 途中古箏や二胡の独奏がありましたが、みんな緊張してるのかな?すごく粗い演奏でハラハラ。琵琶独奏の施文卿は付属中学あがりのエリートで、技術も舞台度胸もかなりのもの。しかも彼女175cmの大柄美女で(隣に立つとこの私が小さく見えます)、舞台ばえもするし。

 演奏曲は彼女の十八番、「春雨」。この曲、とても旋律が美しくて、私も大好きです。でも彼女は大柄な割にはあんまり力がなくて、曲の最後、クライマックスの部分ではもうちょっと感情を出してもいいくらいなのに、パワー不足。技術はあってもやっぱり学生は学生だなあ。

 古筝四重奏では日本風の演奏も

 沈貝怡の柳琴独奏で「満族風情」。これ、元々月琴で馮少先が弾いてた曲ですね。難しい所も涼しい顔でこなしてしまう彼女、相変わらずすごい子だ。いつものスキのないシャープな音でなく柔らかい感じが出ていたのは、そういう表現をめざしていたのか、単に新しい紅木の琴を使っていたせいなのか・・。

 この完璧な彼女も、時には失敗もやらかすのだと知ったのはつい最近の事。柳琴・中阮本科生の演奏会(ま、発表会みたいなもんです)でトップバッターだった沈貝怡、曲の途中で間違い、弾き直しをしてしまったのです。続く2曲目でも途中で一旦停止。このあり得ないミスに、みるみるこわばる呉強老師の表情、それを感じて凍りつく学生たち。その後、あろうことか唐一文をはじめ老師の学生達は、全員律儀にも演奏中のミス続出でした。いやはや、おかげで翌日の私のレッスン時もとばっちりが・・・。

 閑話休題。続くは古箏四重奏で、なんと瀧廉太郎の「荒城の月」。日本の箏と中国の古箏とでは弾き方も音質も違いますが、中国古箏の特徴(?)である、手首や指の関節を使わないようにして、極力日本の箏の風格を表現しようとした工夫が見てとれます。顔の表情まで能面のようになってたのはちょっと笑えましたが、でも考えたら邦楽演奏家って中国や西洋みたいに表情が豊富ではないですね。感情を出さないのが邦楽の特徴ってとこでしょうか・・?

 付属中学の三人による柳琴の三重奏で、ハイドンの「ジプシーロンド」。この三人組は柳琴学会でも演奏を披露していましたが、うちの一人は確か彼女が付属中を受験する前日のレッスンで、老師にものすごい罵声を浴びせられていたのを記憶しています(モモ旧日記・9参照)。あれから三年半近く、あなたも私も少しは成長したのかな。今では私も罵声を浴びるのが常になってしまいましたが・・・。

 絲弦五重奏は胡琴・揚琴・柳琴(または中阮)・琵琶・古箏とすべて弦楽器で構成されたアンサンブル。胡登跳が発案して以来、この形式は上海音楽学院のお家芸となっています。「快楽的夜晩」と「天山之春」は絲弦五重奏の古典ともいえる二曲で、彼女らの技術からすれば朝メシ前でありましょう。笑顔まで浮かべ、ぴったり息の合った演奏を聴かせてくれました。

 実は劇場側のミスで企画を変更

 で。そのあと。ステージに今まで無かった彩色ライトがゆらゆらと・・ん、何だか嫌な予感。出たっっ!!私の大嫌いなMIDI伴奏っ!・・にのって琵琶の「梅花三弄」。バックには二胡をはじめ楽器を持った学生達がいるものの、どうもうそっぽい。というよりMIDIの音がでかすぎて、生の楽器が必要ない感じ。次の曲に至っては、例の手鼓落っことした学生が古箏を弾きながら歌まで唱っているのだけれど、どう見ても古箏は音楽に合わせ、口パクというか弾くフリをしているだけ。う〜何なのこれは〜?呉強老師ともあろうお方が、こんな演奏会を企画するなんてどーいうわけ?

 後日レッスン時に老師から「どうだった?」と聞かれ、口ごもる正直者の私。「まあね、実は色々あったのよ」・・・確かに予告ポスターにあった曲目とかなり違っており、また師範大学のSJちゃん(モモ日記・柳琴学会編参照)と客席で出会った時にも「ホントは私も大型合奏に参加するはずで、何度も練習してたんだけど、前日になって急に合奏が無くなっちゃったの」・・・? いくら上海女性でも、そこまで気まぐれで曲目変更したりしないはず。じゃあ一体何があったのでしょう。

 「かなり以前からこの演奏会の為に準備していて、合奏曲も独奏曲もいろいろ用意してたのよ。でも・・」かなり以前から劇場の責任者に構成について打ち合わせして、大型合奏の為の練習もかさね、前日に最終確認をした時、はじめて責任者が自分の勘違いに気がついたそうです。その勘違いとは、責任者は広いステージは必要ないと思い込んでいたため、前日老師が劇場に行くと、ステージの後ろ部分に別のステージがセットされてて、使えなくなっていたのだそう。おかげで大型合奏の曲目は全部はずされ、急遽独奏や小合奏を増やしたらしい。道理で間に合わせっぽい演奏が目立ったのですね。

 しばらく落ち込んでおられたらしい老師、でも失敗の原因を作った劇場の責任者が協力的で(ま、当然だわな)、近いうちに今度こそ完全な演奏会を開くべく、企画をあたためておられるようです。この失敗を踏み台にして、次回はきっとすばらしい演奏を聴かせてくれる事でしょう。・・しかし中国ってどうしてやる事なす事こうもいい加減なんだろ?些細な事ならともかく(ってあまりに多いのでストレス溜まりますけどね)こんな大事、冗談ではすまないと思うんだけど・・・。

*お知らせ*
7/6に東京芸大・奏楽堂にて、呉強老師はじめ上音の老師たちが出演されます。興味のある方はぜひ。(私も聴きにいく予定です)

 【柳琴学会 その2 】 04.12.16
 10/5 学会第2日目

 プロ奏者による演奏会


 この日は朝から論文発表の続きおよび討論会。前の晩は喋り過ぎて寝たのが深夜3時頃。ね、眠い・・・モーローとしている頭には、中国語なんてほとんどさえずっている如くにしか聞こえません。論文は相変わらず教学方法や美学関係の内容だし、まわりを見渡しても皆欠伸をかみ殺しているようです。うういかんっ、船漕ぎかけた・・・。

 昼からはいよいよプロ奏者による演奏会。これが楽しみだったのだ、これが!! ・・・しかしそのプログラムの中には呉強先生の名前はありません。というのは先生、つい8月末に手術をなさったばかりで、「演奏?こんな状態じゃ無理無理! レッスンでさえ調整してんのに!」・・・残念。ずっと前からすごく期待してたのになぁ。前に学校の記念公演があった時も、私は丁度帰国していて聴けなかったし、せっかく上海にいるのに一度も先生の舞台姿を拝む機会にありつけません。ああ不幸な私・・・。

 トップバッターは蘇州の先生とその学生達による「剣器」の斉奏。・・・えっ、この曲みんなで弾くの?と戸惑っている間にも、編鐘ほか打楽器メインの伴奏テープがバックに流れ・・・。この曲ってすごく気迫が必要なのですが、録音した伴奏を使用したり斉奏したりしたために、リズムの自由闊達さとメリハリが失われ、たる〜い曲に成り下がってしまってました。しかもビジュアル的にも「揃いでオーダーして作るんならもっと体型考えろッ」と言いたくなる、ギリシャ風(?)の首をかしげるようなセンスだったのでよけいに・・・。

 広播民族楽団の奏者による「澳門狂想曲」、台北市国楽団の奏者で「塞北雁」と続いて、お二人ともちょっと緊張してます?という感じでしたが、前の曲は新曲のようだし、後の曲も台湾で一度聴いたことがあるきり。 2曲とも中国ではあまり聴かれないので新鮮でした。

 柳琴についておさらい

 ここでちょっと柳琴について再びおさらいしておきましょう。柳琴の歴史はたかだか200年くらいのもので、もともと安徽省や江蘇省、山東省一体で地方劇の伴奏に用いられていました。1950年代に王恵然(琵琶奏者で、「彝族舞曲」の作者でもあります)が改良し、今や民楽オケには欠かせない楽器となりました。また彼は作曲家としても優れた独奏曲をたくさん発表し、柳琴の普及に多大な貢献をしたのです。

 柳琴は歴史が浅いせいか、独奏曲も他の楽器ほど多くありません(まあ、歴史のある楽器でも独奏曲が多いとは限りませんが)。高音楽器であるため古曲のアレンジをしても味が出にくいので、創作曲が多く、しかもその大半が王恵然の作品なのです。朝の討論会でも、「いまある柳琴の作品は簡単すぎて、また少なすぎて学生に教える曲がない」といっていたのもうなずけます。これからどんどん新しい作品が発表されていって欲しいものですね。

 王紅藝の余裕の演奏
 

 さて演奏会の最後を締めくくるのは王紅藝。この王紅藝は王恵然のお嬢さんで、幼少の頃から父上の薫陶を受け、名実共にトップとして揺るぎない地位を保っている人です。何だか「とてもクールな役を演じる戸田恵子」ってな感じで、ほっそりとした背筋をぴんと伸ばし、口をきりりと結びきっと前を見据える眼、まるで軍人みたいで恐くて近寄りがたいような雰囲気。王恵然父娘の活動拠点であった済南の前衛歌舞団、前身は文工団だったので、やっぱり軍隊の影響を受けているのでしょうか。

 曲は「江月琴声」と「陽光照耀着塔什庫尓干」。1曲目は以前同学の独奏会の時にも紹介しましたが、白居易の詩「琵琶行」に題材を得た曲で、琵琶の奏法を意識した、王恵然作品です。2曲目はいわずと知れた陳鋼のバイオリン曲を王恵然が柳琴に改編したもの。さすがトップの貫禄というか、どちらも前日の学生演奏会でも弾かれた曲ですが、不安定なところがほとんどなく、余裕の演奏でした。

 演奏会の後は、王恵然によるレクチャーです。実はこの日の昼食時、食事を終えて会場に戻る途中たまたま王紅藝が隣を歩いていたので、これはチャンス!! と思いきって声を掛けてみました。常々疑問に思っていたことを質問してみたのです。

 柳琴が歴史的に新しい楽器であることは既にご紹介しましたが、資料も少なく、せいぜい先に述べたような程度しか記述がありません。改良する前の楽器がどんなであったか(写真資料はあるのですが・・)、またどのような使われ方をしていたのか、そして今も劇音楽で使われているのか、そういった歴史や伝統に関する事をもっと詳しく知りたかったのです。

 そう訴えると、「わかりました。レクチャーに盛り込んでもらうようにしましょう」と言って、「左向け左!」の号令を実行したかのごとく、シャキーンと前に向き直り、スタスタと去って行きました。言ってみるもんだなあ。しかし愛想がないというか、取りつくしまのないお人であります。父娘2人で並んでも無駄話一切しませんって感じだったし・・ちょっと恐いぞー。


夢の親子競演!?王恵然の講座

 王恵然のレクチャーに感心

 で、レクチャー。約束して下さった通り、早速柳琴の歴史から始まったのですが、残念ながら内容はほとんど知っていることばかり。うーん、私だって柳琴をやっている以上、出版されている楽譜やCD資料くらいは読んでるんだけどな一応・・・。私が外国人だから何も知らんと思われたのでしょうか。

 歴史の話の後は、柳琴の基礎奏法についての解説。でも初心者やアマチュア相手ならともかく、長年やってる人がほとんどなのに、今さらそんな話したって意味ないんじゃなかろーか。でも面白かったのは、王恵然が柳琴を持って、実際に弾きながら解説していたこと。昔は演奏家として活躍されていたものの、実際彼の演奏で録音が残っているものはごくわずか。私も一度だけソノシート(懐かし〜)で王恵然の「春到沂河」の柳琴を聴いた事があります。すごいなあ。現役演奏家を退いて久しい彼が柳琴を弾く姿、そう見られるものではありませんよ。しかも途中、王紅藝の助けを借りるシーンもあり、貴重な親子共演が見られた一幕でした。

 あと、揉弦(ビブラート)の解説で、ものすごく味のある揉弦を披露してくれた事。柳琴は弦がびんびんに張っていて余韻が少なく、揉弦をかけてもなかなか効果が出にくいので、揉弦をほとんどかけないか、又はかけても動作の早いかけ方をする奏者が多いようです(王紅藝はじめ誰の演奏でもそうだった)。ところが王恵然の揉弦はゆったりと大きく、深い余韻がいつまでも続いていました。この年輪を感じさせる味わいは、ちょっと真似できるものではありません。さすが!!

 レクチャー終了後、王紅藝に礼をのべると共に、やはりもっと詳しい内容を知りたいのだと伝えると(我ながら大胆だな〜)、「じゃあそういったことに詳しい先生を紹介してあげましょう」と、山東の地方劇、柳琴戯の専門の先生を呼んでくれました。ありがたや、やっとちゃんとした話が聞けそうです。

 閉会式の後の夕食の席で、台湾の楽団の奏者と意気投合し、彼女も研究材料を探していたらしくて、夕食後一緒に例の山東の先生の所に柳琴戯の話を聞きに行くことになりました。柳琴戯のメロディの特徴とか、他の地方劇との比較とか、 ちょっとさわりだけ聞くつもりだったのに長居(2人とも録音までしてほとんど講議状態! )してしまいましたが、今でも柳琴戯が存在し、1年に一度フェスティバルが開催されることも知りました。

 それらを実際に見て聴いて理解するために、私達は近いうちに山東に取材に行く約束を交わしました。まさかこういう展開になるとは予想していませんでしたが、情熱をもって求めれば世界が開けるものだと実感。機会を作ってくれた先生方にただただ感謝するのみです。


10/6 学会は終了したけれど・・・

 北京大学と北海公園を見学


  もう昨日で学会は終了しましたが、列車や飛行機の時間待ちで、皆さんまだまだ交流が続いている様子。呉強先生と同学達も、夕方の列車で上海に戻る前に時間がたっぷりあるので、昼間はみんなで北京を観光することになりました。

 SJちゃんより前日に「やっぱり北京に来たからには北京大学に行かなくっちゃあ!」と提案あり。そう、北京大学といえばちょうど日本の東大にあたる大学です。「・・・行って何すんの?」「うーん・・・キャンパスを歩いて、写真撮って、図書館もちらっと見て、・・・とにかく!! どんな所か、どんな学生がいるのか、見てみたいの!」

 午後から呉強先生達と故宮に行く予定になっていたので、午前中はとりあえず彼女の提案どおり北京大学に。でもマイペースの中国人達、支度に時間がかかるんだ、これが。頼むから出かける時間から逆算して行動してくれよ〜。ホテルを出たのは、昨日予定した時間よりすでに1時間オーバー。呉強先生との待ち合わせの時間まであんまり余裕がありません。

 北京大学はとにかく広い。よく撮影に使われる正門を探すのに、何人もの人に尋ねまわったのですが、案外みんな知らないのです。というのは学内は私達みたいなおのぼりさんも多いらしく、ふた言目には「いやー、実はここの学生じゃないんだ」と言われておしまい。・・・どうりで中国の東大にしては、特に頭脳明晰って感じの人が少ないと思った。

 時間がないながらも図書館も見学し(・・・でも別に品揃え的にもフツーでしたけど・・)、撮影スポットらしき(?)池の橋のたもとで写真も写し、もちろんでかでかと「北京大学」と書かれた正門で写真におさまり、足早にでしたが、ちゃんと目的は果たすことができました。彼女本当は中国の早稲田である精華大学にも行きたかったようですが、さすがにそこまでは時間が・・・。

 急ぎタクシーに乗り、中でケンタッキーのフィレサンドを頬張りつつ、呉強先生達の待つ故宮へ。そこで呉強先生ほか若干名、「故宮は行ったことあるから北海公園にしましょう」と、故宮組と公園組にわかれて観光することになり、私は北海公園組に入りました。

 天気もいいし、風は心地よいし、ぶらぶらするには格好な日和。疲労の色濃い呉強先生は途中でダウンされましたが、白塔に上り、そこから眺める故宮をはじめ北京市内は秋晴れの下ではっきりくっきり、この学会での日々を思い出しながら、やっぱり北京に来てよかったなぁ・・・としみじみするのに十分でした。

 故宮組との待ち合わせまでかなり時間があるため、先生の身体も気になるので、池のほとりに腰かけて、ゆったりと談笑しつつ過ごしました。何だか先生とまとまった時間話をするのって久しぶりかも・・・。気のせいか、おそらくは私の近況をおもんぱかってか、先生妙に優しいぞ。まあでも上海に戻ったらまたビシビシやられるのだろーけど(涙)。「練習してる?」と尋ねられ、答えに窮していると「都合悪くなるとわからんフリするでしょ!!」と意地の悪いツッコミ入れられたし(汗)。

 もちろん最後はお買い物タイム

 夕方の列車で上音ご一行様は去り、私も部屋を移って1人になりました。さあこれからはお買い物ツアーだ!!もちろん、私の場合"お買い物"ってのはイコール楽譜やCDなどの資料類のこと。せっかく北京に行くのだからと、学会の日程にプラスして、お買い物タイムをゆっくり取っておいたのであります。

 早速本屋巡り。またたく間に荷物が増える、増える。うす暗くなった王府井をふーふー言いながら歩き回る私。と、何やらすごい人だかりができているので覗いたら、特設(いや常設?)バンジージャンプ台があり、丁度挑戦者が乗り込んだところでした。北京にもこんなんできてるんだね・・。

 その後も学会の先生とばったり出会ったりしながら、地下鉄の終電近くまで街をうろうろしていたのでありました。国慶節の休み期間で商店も遅くまで営業時間を延長していたし、重い荷物で肩と腕はパンパンだしお財布もさぶーい有様でしたが、王紅藝の新作CD(2002年のなので新しくはないのだが上海ではついぞ見かけなかった代物なので・・・)も手に入れ、充実した(と言えるだろう)お買い物ツアーでした。

 中国は広いので各地方で売ってるものが違ってたりする為、結構めっけモノがあったりするのです。中国のCDは安価なものが多いので、一期一会とばかりに(そう、その時買わないと二度と会えない物、多いです)とりあえず買っておくクセが染み付いてしまいました。特に柳琴や中阮のCDはほかの楽器に比べ資料がほとんどないので、知らないバージョンのが1曲でも入ってたら買うことにしています。それのお陰でアレンジだとか後々役立った物も少なくありません。まあそれも玉石混交で、聴いた途端電子音楽系伴奏だったり、捨てたくなるものも多い(これがほとんどかも)ですが・・・。

 その翌日の晩には、中央音楽学院に留学している知人及びそのお母様と久々にお会いして、すっかりご馳走になってしまいました。その後「国慶節に湧く人民大会堂を見よう!」と、学校の近くから人民広場まで歩いてゆきました・・・がやはり北京は広い! 上海とは訳が違うのでありまして、私の感覚からすると相当歩いてやっと到着。時間もかなり遅かったのですが、立ち去り難い様子の人達でまだまだ広場はいっぱいでした。

 とまあ、今回六泊七日の北京の旅だったわけですが、学会も買い物も充実していたし、天気も良かったし、申し分のない旅でありました(という事にしておこう)。何より久々に中国の空気を吸って、本場の柳琴の音を聴いて、長い間忘れていた感覚が少しづつよみがえって来たような気がしました。と同時に、ぼーっと無為に日本で暮らしている自分が情けなくもあり、来年上海に戻るために、ちゃんとやっておくべき事をやらなくちゃ、と強く感じました。

 しかし。北京のホコリを大量に吸ったせいか(毎日鼻の穴が真っ黒でしたよん)、はたまた睡眠不足による疲労のせいか、帰国後間もなく風邪を引き、ずっと長い事寝込んでしまいました。だもので強い決意もどこへやら、相変わらずへろへろした毎日を送っている私なのであります・・・。

 【柳琴学会 その1 】 04.11.29
 *すっかりご無沙汰しております。前回の日記はウグイスが鳴く頃でしたが、気がつけばしろばんばが舞う季節になってしまってました・・・時の経つのは本当に早いものです。この間に色んな事がありました。夏に母が亡くなり、気力・体力ともに相当まいってしまっていたのですが、来学期の上音への復学に向け、少しづつ立ち直る努力をしている最中であります。色々と支えて下さる皆様、本当に有り難うございます。この場を借りて、あらためて感謝申し上げます。

 久々、北京へ出発

 さて、10月に北京で柳琴の初めての学会が開かれ、私も参加してまいりましたので、ネタがまだ新鮮なうちに(日記をサボっている間に古くなって使えなくなったネタがあまりに多いので・・)2回にわたってレポートさせていただきますね。

 もともと、私が上海にいる間に何度も開催の噂のあった第1回柳琴学会。のびにのびて、やっと10月に開会される運びとなりました。学会って、論文発表とか討論会とかするんでしょうか?「その他に演奏もあるはずよ」との先生のお誘いの言葉に、一も二もなく「行きます!」と電話口で叫んでいた私でした。

 10/3に関空から北京へ。以前この季節に行った青島がすごく寒かったので、北京もちょっと肌寒いだろう、とカーディガンやら色々準備していましたがアテがはずれ、奈良とちっとも変わらぬ暑さ。話によると、前日あたりから急に天気が良くなったそう。とはいえ日本や上海と違い乾燥しているので、歩いていても汗たらたら、なんて事はなく、とても快適。

 先生から会場であるホテルの名前と住所は聞いていたものの、とりあえず乗ってみた空港バスを降りて、さあどう行けばいいんだろ。あちこち尋ねまくり、ようやくホテルに辿り着いたのが午後の3時頃。学会の事務局を探し、自分が泊まる部屋も確保し、やっと先生に電話をし・・・たら。「アンタ何してんのよ〜部屋?もうこっちでアンタの分も取ってるわよ!」・・・そんなぁ〜。先生事前にそんなの言ってなかったから、自分でチェックインしてしまったではないの。

 で、教えてもらった部屋は4人部屋で、先生が別に連れてきた学生2人の他、別の先生の学生1人と一緒になりました。そのうちの1人、上海師範大学で学ぶSJちゃんは、私とレッスンの時間が前後する事が多いので顔なじみ。きっと私が安心できるよう、先生が配慮してくださったのでしょう。SJちゃんはとても親切な子で、学会の間ずっと世話を焼いてくれて、彼女とはますます親交を深める事が出来ました。
 

柳琴学会の開会式
 開会式に有名人がずらり

 朝から開会式。ホテルの会議場の紅幕の前に、ぞろぞろと有名な先生方が並びます。中国管弦学会の柳琴学会なので、柳琴の名家だけでなく、中国音楽界のお偉方も来られています。おお、あれに見えるは作曲家の劉文金! 柳琴の父・王恵然とその娘、王紅藝もいるではないの。 うわぁ〜、劉文金も王恵然も写真と同じ顔だぁ!・・・なあんてミーハーしていた私です。

 あと、ど真ん中にいる会長らしきおじいちゃんと、劉文金の隣に座ってるおっちゃん、どっかで見たんだけど誰だっけ・・と思ったら。11月のオーケストラ華夏の定演(注 : 私が以前在籍していた楽団です。これを書いてる間に定演も終わっちゃいましたが・・)にゲスト出演される、朴東生と張殿英のお二人ではありませんか。この二人は管弦学会の会長と副会長だったんですね。
 
 突然の紹介にどぎまぎ

 開会式の挨拶の後、いったん外へ出て全員で記念撮影。会場の薊門飯店の前にずらりと並んだのを見るとなかなか壮観です。柳琴をやってる人達ってこんなに沢山いるんだ! と、あらためてびっくりすると共に、民族楽器の中でも少数派だと思っていたので、仲間が沢山できたようで嬉しく、また心強く感じられました。

 記念撮影が終わるとすぐ、中国恒例(?)のマイフォト撮影大会のはじまりはじまり。お偉方が一同に会する機会もそうあるものではありませんから、あっちでもこっちでも皆で写真を写し合って収拾つかなくなってます。私も頼まれて何度シャッターを切らされたことか。また逆に、皆さんから「写してあげる!」と、有名な先生方とツーショットで何枚もカメラにおさまった私でしたが、果たしてその写真は私の手元に届くのであろうか・・?

 再び会議場に戻り、次は論文発表です。呉強先生も「上海地区における柳琴の発展」と題して発表しておられました。二、三人の発表が終わったそのあと。・・・突然、「ここでお一人ご紹介いたします。日本から来られた・・・」と、私の名前が読み上げられるではありませんか。びびびびっくりしたぁ〜!! いきなりだったので皆の視線を浴びてどぎまぎし、引きつり笑いを浮かべぺこぺこお辞儀をする姿は、もう日本人そのもの・・ああ恥ずかしかった。でもこの紹介のお陰で、後々いろんな機会に恵まれたのであります。

 その後も引き続き行なわれた論文発表、前もって配られた論文目録には、演奏の方法論や作品分析について述べられたものもあり、とても期待していたのですが、時間の関係か、発表は一部のみにとどまったのが残念でした。しかも教学や近年の発展についての論述が主で、もっと以前の歴史に関するものも聞けるかな、と期待していた私にはやや物足りない内容。もちろん私は論文を聞いてちゃんと完璧に理解できるほどの語学力はないので(笑)、後日冊子にまとめる、と聞いて安心しました・・・。

 偉い先生方と食事を一緒に
 

 午前の部が終了し、会場を出ると、劉文金がぼーっと佇んでおられるのを発見。ほんの数分でしたが、お話をすることができました。間もなく先生方はそろってお食事に行かれるご様子で、「じゃああなたも」と誘っていただいたものの、私は学生の身なので、そんな恐れ多いこと、とんでもない! と丁重にお断りしていると、そこへ呉強先生登場。「いいからアンタも一緒に来なさい」・・・えっ!?いいんですか〜私なんか入って!?

 呉強先生は恐いので・・・もとい、側に座ると先生に恥をかかせるかもしれないので、避けてテーブルの端っこに。それでも中国の習慣(?)にのっとって、偉い方々がどんどんビールを注ぎにやって来る! この席で沢山の先生方とお知り合いになることができました。夢みたい・・・。そして有難いことに、会期中ずっと先生方と食事を御一緒させていただいたので、交流が深まっただけでなく、食事もとても豪華なのが嬉しかったのでした♪(人より食い気かい・・)

 昼からは学生による演奏会。きっと皆さん、各先生方イチ推しの優秀な学生達なのでしょうね。前半は上海の音楽幼稚園のおちびちゃんの斉奏から始まり、小中学生の演奏が続きました。まだ小さくてただ教えられた通り弾いてるだけ、といったのがほとんどですが、時々きらりと光るものを感じさせてくれる学生もいて、将来が楽しみです。


さあみんなで記念写真。モモも確かにどこかにいます


 身びいきでなく上音はたいしたもの
 後半は少し年齢もレベルの高い学生達の演奏。さすがに大学生ともなると、表現力の幅が格段に違って来ます。選曲も「雨後庭院」とか「江月琴声」といったストーリー性のある作品が多くなり、同じ曲でも解釈がけっこう違っていたりと、面白く聴くことが出来ました。

 呉強先生の学生の出演は、付属中学の3人による三重奏と、上音の大学生2人。いずれも堂々たる演奏で、他の学生達を圧倒していました。・・というとまるで身内へのひいき目に思われるかもしれませんが、実際彼らは他の先生方の学生に比べ、音量、音質、リズムの正確さ、曲の構成、どれをとっても白眉なのです。呉強先生の生徒であることを誇らしく感じると同時に、こんなに良い先生の教えを受けているのに、いつまで経っても上手にならない自分が情けなくなりました。

 この日の予定はこれで終わり。ルームメイト達と晩遅くまで、喋る、喋る。思えばいつもレッスンの時に顔を合わせた時に少し話すことはあっても、それ以上の交流はありませんでした。今回同じ部屋になって、他愛ないことからレッスンの事まで、いろいろ聞いたり話したり歌ったり、ずいぶん盛り上がりました。

 SJちゃんは、ずっと別の先生に柳琴を習っていて、師範大学に入ってから呉強先生に習い始めたそうです。最初に出会った頃に比べ、だんだんと音が変わって来たのを最近感じていましたので尋ねると、やはり並々ならぬ努力を積み重ねていたようで、練習方法ほか貴重なアドバイスを沢山もらうことができました。

 こうやって同じ部屋で時間を過ごすことによって、普段見えないプライベートな彼らを知ることが出来、また日頃疑問に思っていることも聞くことができたし、昼間以外の時間もとても充実していた学会だったのでありました。

 【中阮くんのつぶやき 】 03.10.28
 ボク、3代目中阮の蘇州号(何か船の名前みたいだな)といいます。1代目、2代目共に上海製で明るい目の音だったんだけど、御主人様が「次は重厚なヤツが欲しい!!」とお望みだったので、その要求通りボクを作ってもらったら、音も重厚だけど実際目方も重くて、御主人様は「持ち歩きに不便だ」とブツクサ文句言ってるよ。
唐時代のボクの御先祖さま。カッコいいでしょ(正倉院の阮咸 )
 
 ボクの歴史について

 ボクの事、中国人にも知名度があまり高くなくて、「これ、月琴?」とか言われてがっくり来るんだよね。でも歴史はとっても古いんだよ。みんな、正倉院にある「阮咸」って知ってるかな?機会があったら、見てみてね。この正倉院にある阮咸ってのは、ボクの唐時代のご先祖さまなんだ。

 さかのぼれば紀元前、漢の武帝の時代、烏孫公主を西域に嫁がせる際、公主の悲しみを紛らわせる為、今までにあった箏や筑といった楽器に手を加え、丸い胴に長い棹という楽器がつくられ、それを「琵琶」と呼んだ。「琵琶」ってのは、いわゆる弾撥楽器の総称だったんだ。諸説あるけれど、現在ある梨型の琵琶は西方から渡来したもの、ボクの御先祖さまである丸い胴の琵琶は中国国産のもの、というのが一般的かな。

 中国四大美人の1人、「王昭君」 って知ってる?漢の時代、友好の為に匈奴に嫁いだ、悲劇の美女。絵画を見ると、たいてい彼女は琵琶を手にしている。これは御主人様の説なんだけどさ、この彼女が持ってる琵琶ってのは、いわゆる現在の梨型琵琶ではなく、胴の丸い、ボクの御先祖のほうではないかと思うんだ。だって異民族に嫁ぐことになった身の上を嘆き、故郷をしのんで異国でつま弾くのには、同じく西方から渡来した梨型琵琶よりは、やっぱり故郷産の楽器でしょう。年代的にいってもこの説、結構真実味があると思うんだけどなあ。
 その後、竹林の七賢の阮咸って人がこの丸い琵琶の名手だったらしく、以来、唐時代あたりからは区別して「阮咸」と呼ぶようになったらしい。正倉院にも残っているように、唐時代までは阮咸もさかんに演奏されていたんだけど、なぜか宋時代あたりからぷっつりと消息が絶えてしまう。その間、宮廷でも民間でもすっかり梨型の琵琶が台頭してきてね、ボクらは歴史の表舞台から消えてしまうんだ。

 で、五十年代、中国の民族楽器の改良がさかんに行なわれるにいたり、やっとボクらにも再び機会がめぐってきたわけ。阮族としては高・小・中・大・低の5種類が作られて、阮族合奏なんてのもあるんだよ。楽団で使われるのは、今では中・大の2種だけど、中低音が少ない民族楽器の中では、なくてはならない存在なんだ。特に大阮はベースと同じで、ちょっとしたアンサンブルでもあるのと無いのとでは、締まり具合が全然違う。ま、華々しくはないけど、縁の下の力持ちってとこかな。

 ボク達のプライド

 ボクら、もともとの歴史は古いんだけど、もう一度いちから再スタート、って感じだね。おかげで新参者扱いされるし、奏法も記譜法も定弦も、人によってさまざま。不便なんだなあ、これ。楽譜を見て「この曲、いいなあ。弾いてみたいな」と思っても、定弦が違ってたり、とかね。

 ボク達中阮と柳琴は2個いちでひとまとめに語られる事が多いんだ。どちらもピックで弾くし、定弦もオクターブが違うだけで音が一緒だからね。特に柳琴弾きは必ずといっていいほど中阮も弾く。というのは、柳琴は高音楽器なので、アンサンブルなんかではあまり使われないために出番が少ない。中阮も同時に弾ければ活躍の場が多くなるってわけ。だから柳琴はボクの小さな妹みたいなもんで、お互い親しみを感じるんだ。

 ボク達、いっつも他の楽器奏者からバカにされるんだ。特に琵琶弾きからはずいぶんひどい事言われるんだよね。「琵琶が弾けたら中阮なんて簡単」だとか「中阮ってギターと似てるから、習おうとも思わない」とか、「柳琴って独奏曲なんてあるんですか?」とか。ずいぶんだと思わない?

 「簡単な楽器」、「難しい楽器」って、一体何を基準にそう呼ぶんだろう?奏法の種類がたくさんあること?それが即ち難しい楽器だと本気でそう思ってるのかな?じゃあさ、みんなピアノって簡単な楽器だと思う?だってピアノなんて誰でも弾けるじゃない。音楽を知らない人でも鍵盤を叩けば音が出る。御主人様の飼ってた、最近みまかったネコだってピアノ弾いてたよ。でも誰も「ピアノなんてすごく簡単。誰だって弾けるよ」なんて言う?言わないよね?

 それはピアノがあまりにも世界中に知られていて、特別難しい奏法がなくともどれだけすばらしい芸術を創造できるか、誰もが知っているからだと思うんだ。残念ながらボクたち中阮や柳琴は中国でもあまり一般的じゃなくて、傑出した演奏家もまだそれほど多くない。だから誰も知らないんだ、ボク達の本当の実力を。

 ボク達にも多くの奏法

 「え、柳琴にもこんな琵琶みたいな奏法があるの?」・・そりゃあ同じリュート系の楽器なんだから、同じような奏法があって当たり前だよ。何だか昔の白人優位時代に「黒人って、私達白人と同じようにお風呂に入ったりもするの?」なんて言われてるみたいで一種差別意識を感じるなぁ。

 逆に琵琶はそういう奏法がたくさんあるってことは、それがしやすい楽器って事だとも解釈できる。中阮や柳琴は琵琶の奏法を真似てるんだけど、琵琶と違って弦の張力が強いから余韻も大きくない。しかも義爪をつけて弾く琵琶とは違い、ピックで弾くのが一般的だから、同じように豊かに表現できるように弾く為には琵琶よりももっと条件的に難しい。・・そうは考えられない?

 確かに琵琶はいろんな技法があって、それを習得するのに時間がかかるのはわかる。だけど大人から始めたんだったら難しいかもしれないけど、子供から学んでいれば、技術に関してはさして問題にならないよ。もちろん技術は必要だけど、本当の楽器の魅力、音楽の醍醐味って、技術だけじゃなく内容なんじゃないの?

 奏法が多くても、そのひとつひとつの違いを表現できていなければ、種類が多くても意味ないじゃない。それに実際、琵琶って技法の分類だけは凝りに凝ってて、いちいち名前がついてるんだけどさ、ボク達の場合、そこまで名前をつけたりしないから奏法が少ないと思われるけど、演奏者はちゃんと意識してたくさんの技法を弾きわけてる。
 「音楽って何だろうね」

 例えて言えばさ、料理の道具をたくさん持ってて、この料理にはこの包丁、あの料理にはあのナイフ、その料理を作るのには絶対この道具が必要だとか、そりゃあ道具に凝ればそれなりの料理もできあがるかもしれない。だけど包丁一本さらしに巻いて、どんな料理も一本で自在に使い分けて作ってしまえる板前さんのほうが、すごいとは思わない?肝心なのは仕上がった料理の出来映えでしょ?

 「琵琶には伝統がある」っていうけど、どの楽器だってあるよそんなの(笑)。ただ琵琶弾きって、名前をつけて系統だてることにすごくこだわるんだなぁ。系統だてて研究する、それはとても意義のある事だけど、それによって自分達のが、さも高級な楽器だと思い込んでる人達が多いみたい。きっと先生からそう教えこまれてるんだろうね。何かにつけて「琵琶は琵琶は」って、まるでほかの楽器とは格が違うみたいにいうんだよな。

 何々派とか銘打ってるけどさ、結局は当時その派を確立した人ってのは、人よりもちょっとした遊び心があって、風格を自分なりに作り上げたってことだよね。音楽って、この「遊び心」がないと発展しないと思う。でも現在の琵琶の人って、奏法を忠実にとか、何々派の伝統とやらを守るのに懸命で、肝心の「遊び心」を無くしてしまってる、そう思うんだ。これじゃあ新しいものは生まれないんじゃない?

 ボクたちの仲間も増えている

 何だか琵琶への一方的な悪口になっちゃって、ごめん。けど御主人様も色んな人から色んな事言われて、とっても傷付いているんだよ。しかも仲間がいないから孤立無援なんだ。ときどきボクをじっと見て溜息ついて、「おまえ、ほんとにいい音なのにね。いつか表舞台に出られるよう、頑張ろうね」なんてつぶやいてる。ははあ、また誰かからひどい事言われたんだな、ってわかるんだ。

 中阮の音ってのはすごくやわらかくって、個性のきつい中国の楽器の中では貴重な存在なんだ。琵琶なんて楽団の中でたくさん人数がいたらガチャガチャうるさくってかなわない。でも中阮だったら、何人いてもちっとも邪魔にならないどころか、楽団の音を重厚にする作用があるんだ。実際、北京の中央民族楽団なんかでは、すでに琵琶はほされちゃってさ、独奏演員以外はみんな中阮にまわされたって話だよ。この話を聞いて、ちょっとザマーミロなんて舌を出してるボクは、意地悪なのかなあ。

 ボクら阮類ってとても地味だからさ、どうしても華がある琵琶や古箏には負けちゃうんだなあ。おまけに見た目もいまいちで、形が丸いから寿司おけ抱えてるみたいな感じ(笑)。音もギターみたいだって言われるし、特別にアピールするものに欠けるのは事実。だけど、本当の専門の阮奏者の演奏はやっぱり違うよ。すごくカッコいいのからシブいのまで独奏曲もいっぱいある。みんなも機会があったら聴いてみてね。

 最近はだんだん愛好者も増えて来て、シンガポールや台湾なんかの華僑地域では結構人数が多いらしい。中国本土でも、特に北方では中阮の学生が急増していて、今年なんて御主人様の先生、かなり中阮や柳琴の学生が増えたみたいだ。これはとっても嬉しい傾向だな。愛好者が増えれば社会的にも認知度が高くなって、ボク達の事を好きになってくれる人もますます増えるかもしれない。

 御主人様、ひそかに「阮と柳琴の地位向上および普及につとめる委員会」をつくって、活動準備をしているらしいよ。それはそれで嬉しいけど、そんなことよりまず、もっと精進して上手くなるのが先だと思うんだけどなあ・・。

 【レッスン近況・中阮編】 03.10.8
 半年ほど前から、柳琴と平行して中阮のレッスンも始まりました。最初、留学前に「中阮を習いたい」と先生には希望していたのですが、「まず柳琴をやんなさい」とあえなく却下。その後ちらりちらりと「先生、中阮・・」とせっついてみるのですが、「左手の力がもっと強くなってからね」となかなか許可が下りません。一年半たったある日、先生からぼそっと「楽器の準備はできてる?」と声をかけられた時の嬉しさといったら。
 
 予想と違う練習方法

 中阮は柳琴と定弦も同じ(オクターブは違いますが)で奏法もほぼ同じです。速度もややゆったりとしていて、技術が高くなくとも弾ける独奏曲がたくさんあります。ですから私としては、中阮を柳琴と同時進行する事により、独奏曲を学びながら、楽器のそれぞれの特性を意識しつつ、技術的なことを少しずつ解決していく。・・くらいしか考えていなかったのです。

 ところが先生はどうやら私に対して、柳琴とは違った角度で曲について考えさせようと思われたようです。最初の3回くらいは練習曲を与えられ、基本技術をおさらいしつつ、練習曲を音楽的に美しく弾く。・・ここまでは柳琴の時と同じでした。

 独奏曲として最初に与えられたのは、「関山月」。考級曲目集に載っている、3級の曲の中でも(中国の級は日本と逆で、1級が初級です)簡単な部類に属する、たった4行だけの短い曲です。これを宿題として渡された時、「むむ、古曲で攻めて来たか。これで様子を見ようってことだな」と、目いっぱい武装して次のレッスンに臨んだつもりでした。
 
 ところがところが。本人、思いっきり気持ちを込めて弾いたつもりでした。・・が先生、聴くなり「違う違う、これは古曲なのよ。創作曲と同じように弾いてどーすんの。息の持っていく方向が違うのよ」。・・・その後えんえんと腕の上げ下ろしはさせられるわ、息を吸ったり吐いたりさせられるわ。一体これは中阮のレッスンなのか、気功の練習なのか?といった雰囲気でした。

 ある日のレッスンにて

「ちょっとここのフレーズ、歌ってごらん」
「(すごくイヤなのだが歌わないとひどい目にあった経験があるのでヤケクソ気味に歌う)」
 先生、聴いた後しばらく考え、「・・この一小節にはミの音が三つあるわね。音の大小の順位、どれがどうだと思う?」
「えっ・・(とまどいつつ)これ、これ、これの順に小さくなると思います」
「どうしてそう思う?」
「えーと、前後のリズムと音高の関係から(中略)、こうなると考えます」
「よろしい。頭では理解できているわけね。実際歌ってもちゃんとその通りになってる。わかっては居るのにどうして演奏に反映されないのかな?」

 それはやはり呼吸法に問題があるからだ、と先生は言われます。だから動作も不自然になりがちで、音もメリハリに欠けるのだと。 
 「楽譜通りに弾く、ということ」

 持続する音が出る管楽器や擦弦楽器というのは線の楽器であり、弾撥楽器は点の楽器だ、といわれます。点の楽器で線を表現するのは確かに難しく、トレモロは弾撥楽器の線の表現として一番よく使われる奏法ですが、問題はそれ以外です。

 例えば一小節の頭に全音符がひとつだけあり、クレシェンドの表示がされているとしましょう。線の楽器でしたら何の問題もなく、全音符の長さだけをずっと弾きながら(あるいは吹きながら)だんだん強くしていけばよいのです。しかし弾撥楽器だとそうはいきません。小節の最初に一回だけ弦をはじく、その動作の中に次の小節までの全ての内容を表現しなければならないわけです。

 気脈を通じる、とでもいうべきか、ひとつの動作から次の動作に移るまでの間、実際には音は発しないけれど確かにそこには存在するものがあるのです。そこに線の楽器とは違う難しさがあるのですが、私にはまだまだ表現力が足りなくて、先生には口酸っぱく指摘され続けています。

 また、表面上は同じ速度であっても、表記された音符によって呼吸法を変える必要があります。曲中、慢起漸快(accel.・・でいいのかな)だからと同じように弾いていると先生からストップがかかり、「前の段は16分音符、ここは8分音符じゃないの。なんで動作が一緒なのよ!」と指摘を受けました。速度は同じでも16分音符は16分音符の、8分音符は8分音符の呼吸がある、ということです。当然呼吸につれて自然と動作も変わります。

 「これって指揮の思考法ですよね」と言うと、先生はニヤッと笑いながら「そうね。昔はここまで深く考えてはいなかった。指揮を勉強したことによって更に視野が広がったと思うわ」と。以前にも触れましたが、先生は昨年指揮科の修士課程を終えられたばかり。そこで学ばれた内容が授業にも反映されているようです。

 このようにして、まずひとつひとつの音の役割を確認し、一小節内の音の関係を見直す。次に一フレーズ内の流れを考え、そしてフレーズ同士の対比や途中で色んな細かい部分を拾い上げ調整しながら、最後に全体のバランスを整えていく。中阮のレッスンでは、こういった作業を通して曲を仕上げていく事を教えられました。

 目からウロコの思い

 私は日本にいる時、自分では結構楽譜を深読みしていたつもりでした(すごい自惚れってもんですね)。人の演奏を聴いたり本を読んだりして、こうあるべきではないか、こうやったら良く聴こえるんじゃないか、と色々考え、何となく理解していたつもりになっていました。実際、民楽の楽譜、特に二胡のなんて見ていると、「この人は楽譜の書き方、ほんとにわかってるのかな〜」なんて感じることも多く、西洋音楽に比べかなり自由、悪く言うといい加減なんだな、と思っていました。

 でも今、こんな風にして、本当に「正確に楽譜通り弾く」ということがどんなことであるのか、改めてひとつひとつ先生から提示され問い直されることにより、漠然と理解していた事柄が、自分の中で確信に変わっていく。目からボロボロとウロコが剥がれ落ちる思いです。・・って今までが何もわかってなさすぎだっただけなんですけれど。

 このところずっと、独奏曲としては林吉良作品、それも地味な曲を与えられています。おそらく先生からすれば、CDにも入っていないような曲を弾かせて、自力で考える訓練をさせよう、というつもりなのでしょう。たまに「石林夜曲」なんて派手なわかりやすい曲をもらうと、ちょっとおやつを頂いた気分で楽しく弾いてます。

 私は専門に音楽をやってきたわけではありません。そういう人達からすれば私が得た知識なんてほんの初歩的なものでしかないでしょうし、「何を今さら」ってな感じでしょうね。でも少しずつ知識が増えてくるに従い、人の演奏を聴いた時に「この人は技術はすごいけど、フレーズの流れがけっこう単純だな」とか、「この人のはすごく聴いてて気持ちいいけど、一体どうしてだろう」とか、色んな事を考えながら「じゃあどうすればもっと良くなるんだろう」ということをとても意識するようになりました。

 たまには褒め言葉も

 なーんてエラそうに一席ぶってますが、実際の自分のレッスンではついうっかり2弦と3弦を弾き間違ったりして、「アタシの一番キライなのはねぇ、音が小さいことと弾き間違うことよッ!!」なんて先生から怒鳴られている状態であります。

 でも中阮のレッスンのおかげで、技術的にはまだまだな柳琴に関しても、ほんの少しだけですが良い影響があらわれて来たらしく、先生から「前よりゃ音楽的にマシになったわね」とさりげなくお褒めの言葉を頂戴し、一瞬自分の耳を疑った事も(笑)。

 とはいえ、レッスンで「わかった、これだ!」と思った感覚も家に帰ると薄らいでしまい、次のレッスン時に「先週言ったじゃないのッ!!  今週進歩ナシ!」と激しく怒られる事もやっぱりしょっちゅうなのでありました。あはは。

 【レッスン近況・柳琴編】 03.9.25
 時間の経つのは本当に早いもので、上海に来て2年の歳月が流れました。当初はほとんど話せなかった中国語もまあまあ上達し、曲がりなりにも先生との意思疎通もできるようにはなりました。ここで自分への確認の意味も込めて、レッスン情況を振り返ってみたいと思います。
 
 最初は練習曲ばかり

 上海に来て、基礎の基礎から柳琴を学び直した、というのは一番最初にご紹介した通り。そしてその基礎改革は1年間余り、延々と続きました。そう、年2回の試験で弾く曲以外は、レッスンの課題はすべて練習曲でした。

 というのも、柳琴という楽器、高音楽器ですから軽快さ、敏捷さが身上。快速弾法およびトレモロが美しく弾けなければ、簡単な独奏曲さえ弾きこなせないのです。もちろん、どの楽器においても技術は必要なのは百も承知ですが、二胡や琵琶、古箏、中阮などは、技術がそれほどでなくとも感覚さえあれば、ゆったりと美しく聞かせる曲はたくさんあります。でも柳琴の場合、他と違って楽器自体の余韻も少なく、速い曲ばかりなので、先ず技術がないと "いかにも下手くそ" ってのが素人目にもすぐわかってしまうカナシ〜い楽器なのです。

 実際、プロの演奏を聴いても、それを強く感じます。もしくは技術があっても、高音楽器なので相当な表現力が求められます。例えばフルートで人を感動させる事ができても、ピッコロでは難しい。そう思いませんか?柳琴も同じです。呉強先生の弾かれるのを聴いてさえ、そう感じます。中阮を遊びで一小節弾かれるのを聴いただけで背筋がゾクゾクするのですが、本来の専門である柳琴では、ほとんどそういうオーラみたいなものを感じません。
 
 結構力が要るんです

 柳琴の場合、本当に上手くないと「上手い」とは感じられないし、民楽オケにおいてもめったに必要とされません。おまけに中国人からも「これ、琵琶?」とか言われてすごくムカつくし(怒)。努力の割に報われる事の少ない柳琴、何でこんな楽器を選んでしまったのかなあ、と思うのですが・・・あーあ。

 ま、そういうのはおいといて・・・私の場合、来た当時は長く持続するトレモロ(長輪といいます)はまあまあだったのですが、短いトレモロ(短輪といいます)の勢いが足りなくてアクセントがつけられないのと、左手の指の力が弱い為にフレットをしっかり押さえ切れず、正確なはっきりした音が出ない、等の問題がありました。ですから1年間、左指の力をつけるため、ずっと音階練習ばかりやらされました。

 柳琴は一見小さくて可愛らしい楽器ですが、実際は結構指の力が必要です。というのも弦の張力がきつく、かつ快速で弾きますので、その一瞬一瞬にかなりの力で正確にフレットを押さえないと綺麗な音が出ません。竹でできているフレットの先、弦に直接触れる部分には銅が埋め込まれており、容易に磨耗しないようになってはいますが、それでも1年でフレットを張り替えるのが普通だそうです。

 少しわかった柳琴の作法

 1年でその問題が完全に解決したというわけではなかったのですが、そこそこ指の力がつき始めた2年目の途中から、やっと曲を習い始めました。簡単な曲からはじまり、少しずつちゃんとした独奏曲、とくに王恵然作品を与えられる事が多いようです。彼の作品は構成がわかりやすく、キャッチャーなメロディーで馴染みやすい、技術的にもそんなに難しくはない、などの理由からでしょう。

 日本にいる時は柳琴の独奏曲なんて弾いた事なかったし(勝手に練習してたのは2,3曲ありますが、完成度は低かったです・・何より柳琴の楽譜自体手に入らなかったので)、最初は楽譜を読むのに精一杯でした。独学のせいで柳琴の楽譜の符号も勘違いしていたことがいっぱいありました。

 でもいろいろ曲を弾くうちに、やっと柳琴の「作法」みたいなものが少しずつわかってきて、日本にいる間ってホントに何も知らなかったのだなあ、と痛感しています。今でも楽譜を「追う」だけで精一杯で、なかなか「自己陶酔」の域までには達していませんが・・。
 「厳しいのは相変わらず」

 先生は厳しいので有名。いつもレッスンに行くと、前の学生が怒られています。「もう今日で3週目よ! まだ暗譜できてないの!?」とか、「何を練習してんの!?これからは○○を50回、××を20回、△△を100回・・(他にもいっぱい練習曲がずらり)、いいこと、毎日よ!」うへへー。さすがに上音の本科生に対してはこんな低レベルの内容は言ってませんが、それでも演奏中に指摘がびしびし飛ぶわ飛ぶわ。おーこわ。

 昔は要求もあまりに低レベルのものだったので、指摘といっても優しいものだったのですが、さすがに今は少し要求も高くなり、1フレーズを弾いた辺りでストップがかかり、ばばばっと指摘が入る。口調がキツいのでほとんど罵倒のように聞こえさえして、毎回ヒジョーに傷付くのですが、慣れてくると先生の言い方にも法則があるのに気がつきました。

 辛口の誉め言葉

 手放しで褒められる、なんてことはほとんどありません。前回指摘されたところをちゃんと直して来て、してやったりとこちらは思っていても、先生はにこりともせず、以前には言われなかった別の所にびしっと指摘が入ります。でもこれはこれで「一歩進んだ要求」であるともいえます。

 先生にしてみれば私の演奏なんて穴だらけの聴くに耐えないモノなのでしょうし、本科生に比べれば私への要求なんてとても低いものなのでしょうが、1つ解決すればさらに次の段階の要求が入る、これは暗黙のうちにレベルアップを認めてもらったようなもの。逆に怒られないほうがよっぽどこたえます。新しい指摘がなかった、ということは、進歩がなかったと言われているのと同じだからです。

 長い間解決しなかった問題が解決すると初めて「進歩した」と言ってもらえます。滅多に褒めない先生からのお褒めの言葉は、甘口の先生の褒め言葉の数倍の価値があるように感じられるものです。ま、先生もその効果を狙っているのでしょうねきっと。

 ある時、ふっと笑って「昔は学生に対してもっと激しく怒ってたから、授業にならないことも多かったのよ。私も随分我慢強くなったもんだわ」・・・こ、これでか!?しかも私に向かって言いましたね、先生。それは私に対する厭味でしょ、と言い返したらニヤニヤ笑ってました。ったくもう〜相変わらず冗談キツいんだから。

(01.12.10)

 【呉強老師ってどんな人】

 ここで少し先生についてのご紹介などを。先生は私と同い年で(実は3日しか違わないのだ)、アカ抜けた雰囲気をお持ちの方です。美人だし頭もいいし、話し方もサバサバしていて社交的な感じです。柳琴奏者は二胡や琵琶に比べ非常に少なく貴重な存在(?)で、先生はその中でもとても有名な(私はトップ3に入ると思う)演奏家であり、また柳琴だけでなく中阮奏者としても活躍されていて、CDもたくさん出しておられます。

*先生との出会い】

 私が初めて先生に出会った(?)のは8年ほど前。中国に旅行中ある小さな店で柳琴のテープを手に入れたのが最初でした。ちょうどその少し前から柳琴を始めていて、当時は柳琴という楽器でどんな曲が演奏できるのか全く知らず、マンドリンみたいなもんかな〜と軽く考えていたのです。ところが日本に帰ってそのテープを聞いた瞬間、衝撃を受けました。柳琴ってこんな楽器だったのか!以来CDの中に1曲でも彼女の曲が入っていると買い求めるようになりました。

 3年前オーケストラ華夏で上海研修があり、私も柳琴と中阮のレッスンを受けられることになりました。当日担当の先生が呉強老師であることを知り、天にも昇る心地でした。本当いうとそのときに柳琴の基本を学んだはずなんですけれどねえ(笑)、忘れましたよ。そして昨年9月、他の上音の先生方と共に来日公演がおこなわれたとき、留学のことをお願いすることに。先生の演奏テープと出会って8年。まさか自分が生徒になるとは当時思いもよりませんでした。縁って不思議なものですね。  



冗談もきつい呉強先生

*トホホの個人レッスン

 上海の女性は性格がキツい。以前からうわさには聞いていましたが、呉強先生もバリバリ上海っ子ですね。ビシビシ、ズケズケ、もうやられっぱなし。私が言葉が余りできないのは前にも述べましたが、学校内ではじめて先生と出会ったときに「も〜、中国語ちゃんと勉強しなさいって言っといたのにぃ」と言われ、レッスン時も私が先生の言葉を理解できないでいるとマンガチックな身振りで「も〜どうにかしてよ〜」と舌打ちされちゃいます。ま、その後すぐニヤッと笑っているので冗談のつもりでしょうが。

 今はまだ基本練習で、毎回毎回注意点を厳しく指摘されます。こちらも先生を前にとても緊張していて上手く弾けません。先日も余りに私の昔のクセが直らなくて、レッスンノートに注意を全部書きつらねた上、ノートいっぱいに大きく×点をつけられてしまいました。ツラい・・・。曲は当然暗譜ですし。

*冗談談もキツい
 
 前回も一度でもミスすればやり直しと言われ、隣の弦に触れてしまったり音が小さかったりと、1時間近くずっと同じ曲ばかり弾かされていました。途中先生がコップにお茶を注ぎに行っている間に弾いたのが一度もミスなく終わり、(実は扉の影でこっそり聞いていた)先生に「私がいないほうが上手に弾けるんじゃないの?次からここで聞いているわ、フン!」と、またまたマンガちっくな言い方がとっても面白い人なのです。

 「あなたの日本での先生も私みたいに耐えていたの?」なんて言われ、いや日本では言葉の面で不自由なことはないから別に・・としどろもどろに言葉を探しながら答えようとすると、即「冗談よ」。いや、きっと本心に違いない。
 

(01.11.25)

 【柳琴について】

 この楽器は中国人にはまだまだ知名度が低いようです。形が柳の葉に似ていることから(原型はもっと細身)“柳葉琴”とも呼ばれています。もともと安徽省や江蘇省、山東省一体で地方劇の伴奏に用いられていたのが、1950年代に王恵然という人が改良し、独奏曲もたくさん作られるようになりました。

 現在一般的なのは弦が4本フレットが24個のもので、ギター等と同じようにピックで弾きます。音や奏法はマンドリンに近い感じですが、もっと鋭く激しい音色です。弦がとても細くまた強く張ってあるので、習い始めた頃は指が切れそうだったし(弦自体も切れやすく、何本無駄にしたことか)、高音部のトレモロを弾いていると難聴になりそうなとても危険な楽器です。

*専業課
 
 メインの課である専業課は私の場合楽器ですので、個人レッスンが週に1度90分間あります。学生によっては先生と交渉して、45分間週2回に分けてもらっている人もいます。
 特に前もって先生を決めていない場合、学校側の安排を待つか、先輩や知人に直接紹介してもらったり、もしくは電話番号を聞いておいて自分で交渉をしたりします。

 私の場合先生とは昨年に交渉済みだったので、面倒な交渉は必要ありませんでした。がここは中国、だからといってじっと待っていても永遠に授業は始まらないのだ。幸いにして手続き初日に学校内で偶然にも先生と出会い、楽器を借りる約束を取り付けることができました。しかも寮まで持って来てくださるとのこと。
 しかし約束の時間になっても先生は来ない。その日は結局現れずじまいで、そのときになってはじめて自分が先生の電話番号を知らないことに気づき、途方にくれてしまいました。が天の助けか、次の日またまた学校内でばったり出会い、「昨日は何かあったんですか」と聞くと、「あっ、ごめ〜ん。忘れてたわ〜」と明るく流され、今晩7時に行くからね、とほがらかに答えられました。

*ようやく楽器を手に


 そして7時。中国人の時間感覚って私たち日本人とはちがうもんね、と自らに言いきかせつつ、8時、9時と過ぎていきます。9時半を過ぎるとさすがの私でも我慢できなくなり、先生に電話をしたところ、またまた「あら〜、忘れてたわ〜、今すぐ行くから待っててね」と明るい返事が。20分後先生到着。ようやく楽器を手にすることができ、まずは第1段階クリア。

 自分の時間割表を渡し、初回レッスンをいつにするか早く決めてもらいたくて焦る私をよそに、先生は「ん〜、また電話するわねっ」・・・。でもきっと待っても電話は来ないだろう〜な。
折悪しくも部屋の電話が壊れ、その報告も兼ねて公衆電話から先生にかけてみると、やはり「まだ決まっていない」とのこと。もう他の同学たちはそろそろレッスン始まっているっていうのに。その後もしつこく電話をして、やっと第1回目のレッスン日が決定しました。やれやれ。

*先生の自宅へ

 先生の教室がまだ決定していないので、第1回目は先生の自宅でレッスンを受けることになりました。先生と学校の門で落ち合い、一緒に自宅へ。
 学校の南側の住宅街の団地の一室で学校から徒歩10分という便利なところです。私がレッスンを受けた所は自宅の部屋ではなくて、団地の自転車置き場にぽつんと立っているプレハブのようなバラック小屋のような一見あやしい所で、「先生こんなボロいところに住んでいるのか?」と思いましたが、中に入るとフローリングの床でなかなか美しいところだったのでびっくり。聞くとそこは専用の練習室で、レッスンのときはもっぱらここを使うのだそうです。

*ようやく個人レッスン開始

 さて待ちに待った個人レッスン第1日目。以前より基礎の基礎から教えてもらうよう希望していました。というのも、私は数年間オーケストラ華夏で柳琴を担当させてもらいましたが、実際には昔に1年余り学んだことがあるのみで、しかも基礎をちゃんと習ったわけではなく、楽器の持ち方も姿勢も弾き方もすべて自己流であり、常にコンプレックスを抱いたまま弾いていた状態だったのです。

 まず姿勢と楽器の持ち方、ピックの持ち方、弦との角度、、すべて一から出直しです。先生はたくさんの子供も教えており、基本に関しては非常に慣れている様子で、言葉のできない私にもわかりやすく、的確な指導をしてくださいました。

 レッスンの最後には、今日習ったことを先生と復唱しながらノートに記入させられ(これってすごく良い方法ですね)、次回のレッスンまでにもう少し滑らかな動きになるよう練習してきなさい、と2時間近くにわたったレッスンは無事終了しました。

 柳琴専門の先生ってやっぱり違うよなあ、と感激。上海まで来てよかった。しかし2回目のレッスンが決定するまでには、やはり数回の電話が必要だったのです。

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