@ちょっとうれしいこと
田保安先生からの電話
最近うれしいことがあったんですよ。私は大学時代に師事した2人の先生がいたんですが、一人は蒋風之先生で、一人は田保安先生。田先生は実は蒋先生の弟子だったんですが、私は両方の先生に学んだんです。蒋先生には主に中国の伝統曲で(例えば二泉映月など)、田先生には主に現代曲を学んだんです。
その田保安先生から突然電話をもらったんです。田先生はずっとフィリッピンの大学で教えていたんですが、もう10年近くになりますか連絡はできていなかったんだけれど、電話をもらって「もう北京に戻ったよ」と聞いたんです。田先生はもう65歳くらいでしょうか、でもこれはとてもうれしかったですね。(蒋先生は84年頃になくなった)。
先生はもう定年ですが、私の先生で今北京にいるのは田先生ということになりました。個人レッスンを何年も続けていたから親みたいな感じで、学生時代土曜日は必ず田先生の家で食事をしていました。すごく良い関係で、お父さんみたいな感じでしたね。声を聞いたらすごく会いたくなりました。
音楽大学時代は練習ばかり
私は大学(北京中央音楽大学)の二胡専門コースで、1回生から4回生まで4年間二人の先生に個人レッスンを受けました。一人づつのレッスンで、レッスンの時間は1回1時間半でした。
私の大学でのクラスは3人で、個人レッスンは1週間に2回ありました。通常は専門の個人レッスンのほかに、当然通常の課目を受講しなければなりません。音楽理論、西洋音楽史、中国音楽史、作曲、漢詩、ピアノ、それにもう一つの楽器を選択して学びます。私は古琴を選びました。7弦の古琴は歴史が長くて、私は好きな楽器ですね。漢詩はね、300の古漢詩を覚えなければならないのですよ。そのときは覚えたんですが、今はもう先生にすっかり返しました(忘れたということですね)。
音楽大学の時は本当に遊ぶ時間というのはなかったですね。授業が終わった後に自分で練習をするんですが、毎日最低でも6時間はしてましたね。楽器の練習と理論やその他の学科の勉強と、寝る時間も惜しんでね。宿舎は夜11時に消灯時間なんです。
練習室もその時に鍵が閉まるんですが、あるとき練習が間に合わないということで、先生が来る前に教室に入り込んで隠れて、先生が鍵を閉めていったあとに中で練習する、ということはよくありました。勉強ばっかり。遊ぶ時間もなく、お付き合いもできませんでしたよ。(笑) |