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中国・音楽の旅
 劉天華の巻
劉天華(リウ・ティエンホワ)

劉天華 作曲家であり、また卓越した二胡、琵琶演奏家。民族音楽の発展に多くの貢献をし、二胡の独奏様式を確立した。「光明行」「良宵」などの二胡独奏曲、「歌舞引」「改進操」などの琵琶独奏曲がある。
阿炳(ア-ピン)の巻
続・阿炳(ア-ピン)の巻

彦鈞(阿炳・ア-ピン 35歳のとき両目を失明。「盲目の阿炳」といわれ街頭を音楽で流す生活を送る。二胡曲「二泉映月」「聴松」「寒春風曲」と琵琶曲「大浪淘沙」「昭君出塞」「龍船」の6曲が録音で残されている。

 劉天華阿炳(ア-ピン)外伝・1
「阿炳と楊蔭瀏」


 阿炳最後の演奏を録音した楊蔭瀏は阿炳と同じ無錫出身。小さいころから数奇な運命で結ばれていた。
 劉天華阿炳(ア-ピン)外伝・2
「阿炳と楊蔭瀏と曹安和」


 阿炳が最後の録音で使った琵琶は曹安和の持ち物だった。彼女は楊蔭瀏とともに中国民族音楽の研究に励んだ。

 新・阿炳の旅
 阿炳(ア-ピン)外伝・3:阿炳とその時代・番外編

 阿炳とその時代・1~5(1893年~1899年)  阿炳とその時代・6~10(1900年~1909年)
 阿炳とその時代・11~15(1910年~1918年)  阿炳とその時代・16~20(1919年~1926年)
 阿炳とその時代・21~25(1927年~1932年)  阿炳とその時代・26~30(1933年~1947年)
 阿炳とその時代・31~33(1948年~1950年)  

阿 炳 と 現 代

 
 無錫市梅村ー二胡の故郷

  盲目の音楽家として名高い阿炳(本名:華彦鈞)は中国江蘇省無錫市生れですが、この無錫はまた民族楽器の二胡の生産でも有名です。

 2022年4月、江南晩報はこの無錫で「二胡の故郷」と呼ばれている梅村の実情をルポしています。

 無錫では古くから二胡の生産はおこなわれていましたが、1965年無錫郊外南東部にある梅村で民族楽器工場が設立されたことで新たな歴史を歩み始めます。万其興と陸林生という2人の青年が蘇州で学び、帰郷してこの無錫で二胡の製作を開始したことです。

 

 江南晩報はそれらの工房の1つである「古月楽坊」の主宰者、朴広軍を取材しています。この工房では毎年5000本余りの二胡を生産し、国内だけでなくシンガポールや日本にも輸出しています。

 二胡は胴体に軸をはめ込み、胴に皮を張り弦を張り渡すというシンプルな構造をしていますが、その製造過程は200以上あり、一つ一つを丁寧に仕上げなければなりません。材料の選定では、紫檀や黒檀など貴重な材料の板一枚一枚を叩いたり匂いを嗅いだりします。材料に含まれている水分や油分の量で響きが違うからです。

 また胴に貼る蛇皮は、模様や厚みが楽器の音色に影響するため重要な材料です。5,6mの長さの蛇皮の中から最高級の1,2枚を選び出す眼力が必要です。蛇の皮を削ること、これは作業の中でも肉体的・技術的にも大変な仕事で、皮を削るヤスリの角度と力の入れ方が非常に重要となります。

 

 二胡奏者にはそれぞれ個性と好みがあり、伝統的な二胡の音を好む奏者もいれば、若い奏者も増えては現代的要素を加え演奏方法も多様化しています。伝統を守りつつ現代的スタイルで演奏できる二胡の製作が工房の新たな発展にもつながります。

 梅村はまだまだ発展期にあり、二胡の生産量は増えていると江南晩報は伝えます。現在、梅村にある二胡工房は20件に達し、そのほとんどが父から子へ、子から孫へと受け継がれてきた家族経営の工房です。梅村は「二胡の故郷」として、伝統を受け継ぎ新たな発展を目指しています。

(22.06.08 記)

 
 阿炳像の作者が逝去

 盲目の音楽家、街頭演奏家、民間芸術家など様々な肩書で呼ばれる阿炳です。おこなわれる催しによって、あるいはそれを主宰する団体・個人によって表現は変わりますが、今も特に出生地の無錫ではその生活と活動の地で、音楽家としての生涯を讃えられています。

 無錫市の中心部梁渓区にある崇安寺一帯は公園として整備され、その一角に阿炳故居があり一般に開放されています。この故居を含む広場は二泉広場として、周囲には商業施設も建てられ買い物客や観光客で賑わう地区となっており、その二泉広場の真ん中に、二胡を拉(ひ)く姿の阿炳の塑像があります。

 広場に入ってきた人の目に必ず触れる位置にあり、またその二胡を拉(ひ)く姿は大きな空間のシンボルとしても目立っています。

 この像の作者である彫刻家の銭紹武が今年6月に亡くなったと報道されていました。享年93歳。阿炳の像はやや頭を下げて世の荒波に向かうような姿ですが、広場の中にすっかりなじんでいます。

 阿炳故居は国家重点文物保護単位であり、よりその存在をアピールするための大きなシンボルである阿炳塑像。作者が亡くなっても厳然と存在しています。

 
(21.11.29 記)


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