1993年11月22日午前、無錫市の吟春映画館で「民間音楽家華彦鈞(阿炳)生誕100周年記念大会」が開かれた。同じ日の午後には、無錫市湖濱飯店で内外の音楽家や研究者を招いて「華彦鈞(阿炳)芸術功績国際学術シンポジウム」がもたれた。
その会場に白髪で小柄な女性がやや背中を丸めて静かに座っている姿が目立った。特に発言はしないが、皆の意見を聞いては少しだけうなずくような動作をしているのが、みなの注目を引いたのである。彼女こそ楊蔭瀏と共に阿炳の録音に立ち会った曹安和その人であった。
この時曹安和は齢88歳。晩年はほとんど公の場に姿を見せなくなった曹安和だが、この阿炳を記念する日と、1999年に行われた楊蔭瀏生誕100周年記念会はどうしても出席しなくてはならなかったのである。
曹安和は1950年に行われた阿炳の録音に立ち会った人物であるが、それと共に一つのエピソードを残している。阿炳が録音するときに使った琵琶というのが当時曹安和が購入した彼女の琵琶であったこと、そしてその琵琶はのちに当時彼女の学生であった陳澤民(現・中央音楽学院教授)に送られ、陳澤民が2005年にこの琵琶を無錫市に寄贈し、今日阿炳を記念するものとして阿炳記念館で鑑賞に供されることになっているのである。
曹安和(1993年シンポジウムで「阿炳記念選集」より) |
そんなエピソードを残している曹安和だが、彼女はその音楽人生の中でずっと楊蔭瀏と寄り添っていたといっても過言ではない。曹安和は楊蔭瀏より6歳年下の1905年生まれである。伝えるところによると曹安和は楊蔭瀏の従姉妹で、楊蔭瀏が住んでいた無錫市留芳声巷から路地一つ離れた盛巷で生まれた。
小さいときから音楽の天賦の才能があり、従兄弟である楊蔭瀏が音楽の練習をしているのを見ては琵琶や笛をおもちゃにして遊んでいたという。1911年6歳のとき、両親は曹安和に音楽教育を施そうと天韻社にあずけた。
楊蔭瀏がアメリカの修道女ルイスに西洋音楽を学んでいるとき、曹安和も側でその講義を聞いていたという。小さいときから音楽を共に学んだ二人はそれ以降ずっと一緒に音楽研究、音楽の仕事をおこない、それぞれの仕事の成功は共同の成果といえるほど親密な人生を歩んだのである。
(参考文献:「無錫民楽」) |