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月 下 独 酌 (2017年)

   
 17年12月25日
 2017年もあと少し。という常套句を使うのも恥ずかしいくらい1年はあっという間に過ぎていきますね(という感覚を持つのは年を取った証拠というらしいですが)。毎年同じ感想で振り返るようなことはしたくないのですが、結局は“こんなんでいいの”という状況がいつも生まれます。

 で、その前に。TV等で喧伝されている映画「スターウォーズ」を見てきました。40年前に第1作が封切られたのを見ていますが、こういう映画が作れるのだ、と感心して見たのを覚えています。この第1作はエピソードとしては全9作(予定)中の第4作にあたるもので、それ以降5、6と続きさらに16年たってからエピソード1、2、3が制作されました。さらにその10年後にエピソード7が作られ新3部作として今年(17年に)エピソード8が封切られたわけです。

 全く個人的な意見ですが大して面白くはなかったですね。ストーリーも“帝国に対するレジスタンス”となっていますが、宇宙空間に広がる人や事物に対する創造性も余りなく、戦闘場面もあれどこかで見たことがあるなあという既視感で一杯でした。敵の大戦艦に対してレジスタンス側の戦艦が特攻で破壊する場面などもありますが、あれ、こんな安易な戦闘場面でいいのかとも思いましたね。

 世界中でこの映画の熱狂的なファンがいるとのことですが、考えてみれば「スターウォーズ」の名のごとくこれは戦争映画なんですね。つまり必ず惑星が破壊されたり、大きな戦闘場面があったりで、それこそ何万何十万という生命が失われているわけです。これが現代を舞台にしたならその数の死と流される血に対して恐怖を感じるところですが、観賞者はむしろ喜び興奮して拍手をします。絵空事だからいいじゃないかという意見もありそうですが、むしろその絵空事に入れ込み、現実世界に対する無関心が増えることがどうなのかと、筆者は感じます。

 毎年この時期になると、次年度の政府予算案が出されるのですが、一般会計総額は97兆円を超えました。まあ新聞紙面では政府の広報誌のようにその内訳を掲載していますが、そもそも適正な支出が行われているのか、という検証は余りなされません。「人づくり革命」と打ち上げて保育所などの整備・改修に1231億円を計上していますが、実際の保育を担う保育士さんの育成や報酬増をどのように具体化するのかは不透明です。その一方で農道の整備や農地の大区画化を行う「土地改良事業」の予算は4350億円で民主党政権時代の12年度予算の2190億円に対して2000億円以上増えています。

 土地改良事業の予算は本当に増額する必要があるのか(つまりばらまきの典型予算)とされるお金で、この2000億が本当に人づくりに使われるなら意味もありますが、結局は掛け声だけになるのでしょう。防衛費も増額増額で、政府寄りとされる読売新聞には「米国の『対外有償軍事援助』に基づく防衛装備の購入額が増えているのが特徴だ。米国が価格設定の主導権を持つため。購入額が膨らむ傾向にある」と書かれています。トランプ大統領は米国べったりの安倍首相に大いに感謝しているかもしれません。しかし日本国民にとっては迷惑なことです。

 一方で「出国税」や「森林税」など増税はすんなりと決められ、生活保護費のうち食費や光熱費などに充てる「生活扶助」の給付水準を引き下げるなど、増税と格差拡大の傾向は続けられています。その他にも自らの生活に照らし合わせて何がおかしいのかという予算が(あるいは必要な部分に使われない予算が)いろいろあります。面倒くさくても少しでも関心をもってチェックすることも必要でしょう。

 そんな2018年がどうなるか。今年1年、(もちろん大きな権力は持っていますが)例えばトランプ大統領というたった1人の人間の言動によって、大きく歴史が変わるかもしれないという現実に直面したことを考えると、社会の動静に無関心でいることは自分たちの生活が大きく揺るがされることにも異議を申し立てないということにもなります。目と耳をしっかりと社会に向けていきたいものです。

   
 17年12月4日
 秋・冬のスポーツの話題です。残念ながら年明け2月に行われる平昌冬季オリンピックはなかなか話題にならず、盛り上がりに欠ける状況になっていますね。オリンピックで経済効果をもたらし地域再開発(というのは20年の東京オリンピックでも発想はあまり変わりがないようですが)、の方法はもう古い手法と考えていいでしょう。しかし単一競技ではまだまだ大きな影響を与えるW杯というのがあります。

 18年にロシアで開かれるサッカーのW杯と19年に日本で開かれるラグビーのW杯です。どちらも日本チームが出場しますが、何より球技そのものが世界各地で熱狂的に受け入れられている素地がありますから、日本が出る出ないは全く関係なく盛り上がります。もちろん開催国のロシアはプーチン大統領の命令一下、国威発揚とともに薬物使用のドーピング問題で国際的に不信を買った事態を盛り返そうとの意図もあり、大々的な受け入れ態勢を敷いています。

 まあ現時点での優勝候補はドイツ、ブラジル辺りに評価は集中しており、ロシアは開催国アドバンテージがあるものの、グループリーグを突破してのベスト16どまりというところでしょう。日本はグループリーグで敗退、というのが今のチーム実力から考えた評価でしょう。日本ではTV放送を見ることになりますが、南米や欧州中央での開催と違って時差の関係が少しマシになり、日本時間で午後9時や11時、午前0時からの開始という試合も結構多いので(一番遅いので午前3時)、同時中継で見ることができるのがありがたいですね。

 さてラグビーW杯ですが、何と来年18年1月からチケットが発売になります。開催は19年9月ですから1年半以上前での購入ということです。1年半以上先の予定なんてわかるかいという方もおられるでしょうが、どんな競技でも世界のトップクラスというのは、普段見慣れている日本での同競技とは思えないくらいの迫力がありますので、見に行けたらいいでしょう。

 しかし近畿での会場(東大阪市と神戸)には1と目されるニュージーランドの試合はありません。決勝トーナメントの試合もおこわれません。実力のあるチームと言えば、神戸のノエビアスタジアムにイングランドと南アフリカがそれぞれ1試合予定されているのが目立つ程度です。もちろんどんな試合も楽しめますが、興行的に競技場の収容人数の関係もあり(決勝トーナメントはすべて4万人以上の収容人数の会場)、仕方がないのかもしれません。

 いずれにしても1年半以上先にどうなっているかわからないけど高額のチケットを手に入れるか、TV中継で楽しむのでいいやと考えるか、悩むところではありますね。

 しかしそもそも北朝鮮のミサイル発射などで東アジアの国際関係は緊張しており、また欧州でも独立運動や難民対応でそれぞれの国が不安定になっている状況で、W杯とはいえきちんと開催できるのか、などという不安を持つ人もいるでしょう。スポーツと政治は別などという楽観的な言辞を吐ける状況にはありません。スポーツも政治や国家間の対立に振り回されてきました。しかしその対立の中で対話のステップにもなりうる存在ではあります。

 そんなことを考えたうえで、さて1年半以上先のチケットを手に入れる算段をしましょうか。

   
 17年11月15日
 日本、米国、アジア諸国などの首脳が一堂に集まった東アジアサミットが14日に開かれるなど、この11月前半は、東アジアを舞台に国際政治が動いていましたね。国内では総選挙後の国会運営について、特に審議の質問時間について与野党の攻防がありました。今さら論評するのもなんですが、大勝したとたんに自らが野党時代の慣例も無視して質問時間を半々で押し切ろうとするのはさすがに無理があります。政権側が質問や批判を受け、政策の問題点を明らかにしていくのが国会審議であるはずで、国民は身内の“よいしょ質問”などは聞きたくもないでしょう。

 ただ政治的には少し落ち着いたこの時期一つのニュースが目を引きました。企業が抱える現・預金が16年度末に211兆円と過去最高に膨れ上がり、アベノミクス前(11年度末)と比べて3割増えているそうです。財務省の法人企業統計調査のデータを分析した結果らしいですが、この間の人件費はほぼ横ばいで、要するに企業の得た利益がそれを生み出した働く者に還元されていないという実態がますます明らかになったということです。

 非正規労働の増加、勤労者家庭の可処分所得の減少など格差の拡大がいわれてきましたが」、企業の利益と賃金の関係でもそのことが明らかになったわけです。しかも安倍政権はこの上に法人税の減税を政策方針と打ち出しているのです。いったいどういうこと、と多くの人が唖然とするかもしれません。もちろん内部留保が増大しているのが大手の企業で、中小企業は苦しいから減税も必要だという意見も出るかもしれませんが、まずはこの実態をきちんと理解すべきですね。

 選挙で圧勝した安倍政権ですが、選挙公約で耳障りのいいことを打ち上げるがいつの間にかそんな公約が忘れ去られる、などということがまたまた現実化するかもしれません。保育の無償化についても政府は認可外保育施設をその対象から外すことを検討していると報じられました(これに関しては自民党側からもおかしいとの声が上がっているようです)。

 選挙公約の実現には当然お金がかかります。そしてそれをどこから調達してくるのかが1番大きな問題になります。しかし今の為政者は消費税増税や社会保険料など様々な料金の値上げ、など安易で取りやすい方法に重点を置いています。格差が広がっている社会にさらに亀裂をもたらすような施策は許されません。

   
 17年10月25日
 衆議院選挙が終わりました。強力な台風の接近という悪条件の中での選挙で、投票率も戦後最低になるかと危ぶまれましたが、53.6%で戦後2番目に低い水準でとどまりました。ただこれも期日前投票がかなり多かったということで、当日だけなら50%を割っていたかもしれません。台風という自然現象に見舞われましたが、しかし選挙は日本の社会の方向を決める重要な行動であり、常に投票に行こうという意識を高めていかなければならないでしょう。

  結果は自民・公明の与党で議席の3分の2を占め、与党の圧倒的勝利でした。野党は分裂が響き、これで安倍政権がしばらく続くということになりました。選挙前の世論調査では安倍政権不支持率が支持率を上回っていましたが、結果は安倍政権の信任という形になりました。小選挙区の選挙方式がどうだとの議論もあるでしょうが、結局は現状の維持を望んだということでしょうか。特に20代、30代の若者の支持率が多かったという調査も発表されています。

 しかし、株価が上がっている、(大手)企業の実績はいい、など一見数字的にはよくなっていますが、これもたとえば金融緩和でじゃぶじゃぶ資金を市中に流している、(国民が積み上げた)年金基金で株を買い上げている、などの実態を知れば、現状に安心していられるということはないでしょう。勤労者世帯の可処分所得(実収入から直接税や社会保険料など非消費支出を除いたもの)が年々減少しているというデータからは格差の拡大が見て取れますし、このままでは20代、30代の若者の近未来も安閑とはしていられないということをもっと感じるべきでしょう。

 結果は結果です。しかし、絶対多数を取ったからといって会計学園や森友学園での疑惑は晴れていませんし、保育所や福祉など国民生活にかかわる問題での進展は強く求められるところであり、少数派となっても野党は強く追及すべきです。求められているのははっきりとした姿勢でしょう。

 世界の状況はより緊迫しています。アメリカのトランプ大統領はアメリカ社会の対立を深める発言を繰り返していますが、それでも逆に固定支持層が強力であり、姿勢を変えようとはしていません。中国では習近平第2期政権が発足し、より一層強大な国づくりと海外への進出を主張してやみません。厳しい国際情勢のなかで、ただアメリカの国際戦略にべったり従うだけではアジア諸国の信頼は得られないでしょう。

 いずれにしても、投票行動をおこなった国民が常に意識をもって見守ることが肝要でしょう。次の参議院選挙で衆参同時選挙になることもあり得ます。それぞれの政党の主張をよく聞き見たいですね。
  

   
 17年10月11日
 10日公示された衆議院選挙、各党の「公約」もそれなりに出そろって22日の投票日まで選挙運動が行われています。マスコミなどでは“3極の闘い”などと表示されていますが、耳障りのいい言葉の裏にある実際の姿をよく見て投票に行かねばなりませんね。

 臨時国会冒頭での衆議院の解散でした。まあこれは本人が否定しようにも誰が見ても安倍首相による「森友、会計学園問題隠し」でしょう。解散が首相の選任事項だという理屈と政治の世界とはそういうものだということで、自己の利益を図って党利党略であろうと解散を手段として使うのは政治の世界では当たり前のことだ、などと擁護する論もありますが、それでは誰のための政治かということが大いに問題になります。

 まあ街頭の演説会場で“安倍辞めろ”などと追及されるのが嫌ということで、選挙応援演説の場所を非公開にしたり直前に急に変更したりと(いまは公開に戻したようですが)するようでは、国民生活をよくするために解散したんだと大見得をきったこともやはり嘘っぽくなりますね。また選挙公約として消費税増税分は全額社会福祉に使うと打ち上げていますが、これを信用する人は少ないでしょうね。もともと5%から8%に上げたときもお題目は福祉の充実でした。しかし実際は借金の返済や(これは大事なことですが)土建工事など様々なところに使用されています。

 かつての安倍政権下で年金問題が発生した時に安倍首相は「最後の1人まで救済する」と約束したはずですが、年金組織が変わっても相変わらず問題が発生していて、解決とはど遠いものになっています。年金問題ではそのこともありますが、支給額減や支給年齢の繰延べなど減らす方向にばかり進んでいます。ひどいものです。

 この自民党に対抗して、民進党の希望の党への合流という安倍首相にとっては予期せぬ出来事が起こりました。当初は野党の準備ができていないことで少々議席を減らしても安泰と思っていたところが、小池都知事が表に出てきたことで風向きが変わるかの事態になりましたね。しかし当の希望の党(小池代表)は民進党からの合流者への公認認定を“選別”を行うとしたことから、またまた風向きが変わりました。もちろん政党とは政治思想を同じくするのが基本でしょうが、もともと“安倍一強政治に対抗する”ことを柱にしていたのが、そうではない別の思想信条をもとに排除しようとしたのですから支持率も下がり始めました。

 結局小池党首も衆院選には出馬せずということになりましたね。言っていることと実際の行為が大きく異なってきた、ということでしょうか。希望の党は「原発ゼロ」を掲げていますが、これまで小池党首からそんな言葉は一度も出ていないし、むしろ「原子力規制委員会が総合的に判断されている再稼働については、これに異論を唱えることはない」と発言しているように、その内実は不明瞭そのものです。ここでも語る言葉と実際の行動の背反が見えてきます。

 そして第3極の立憲民主党をはじめとした野党があります。それぞれの政党のは公約は、やはり急な選挙ということで抽象的な部分が多いのは仕方がないでしょう。しかし抽象的な約束よりもこれまでの政党活動やあるいは現実の社会の変化状況から、それぞれの政党が実際はどう主張し何を行ってきたのかは見て取れるはずです。

 確かに景気はよくなってきたかもしれません。企業の業績が上がったといわれ、株価は上がっていますしね。しかし総務省統計局のデータを見ると勤労者世帯の可処分所得(実収入から直接税や社会保険料など非消費支出を除いたもの)は年々減少しています。企業の内部留保分は過去最高といわれているのですが、表面はともかく実際の生活が苦しくなっている世帯が増えているのです。格差の拡大といった、そんな生活の実感が政治の中でどう反映されるのかをしっかりとチェックする必要があるでしょう。

 そして何より自らの生活のことですから、今回の選挙で自らの選択をはっきりすることです。過去2回の衆議院選挙の投票率は低く、50%を割っています。半分以上が選挙に行かずに議員が選出されるというんはどう見ても良い状態ではないでしょう。選挙には行きましょう。
  

   
 17年9月15日
 「フクシマの荒廃」という本を読みました。16年11月に出版された本で、副題が−フランス人特派員が見た原発棄民たち−となっているのでわかるように著者アルノー・ヴォレランはフランスのジャーナリストです。フランスの日刊紙「リベラシオン」の極東特派員として2012年に来日、東日本大震災後の福島を取材したものです。現地へ赴き直接の面談とインタビューで今なお過大な問題を内包しているのにもかかわらず、日本のマスコミからはほとんど消えている現地の様子を明らかにしています。

 著者は例えばバルカン半島でユーゴスラビアを取材し「ボスニア-生々しい記憶」を出版、そしてリベラシオン紙の極東特派員となってからはスリランカ、カンボジア、マレーシア、ビルマ(ミャンマー)の特に民主化についての記事を書いてきた、と紹介されています。そんな著者が来日後、11年3月11日に起こった大地震と福島原発事故のその後について現地を訪ね取材をしようとこだわります。しかし、「私にはわずかな選択肢しか与えられていなかった。労働者を装って原発内作業員に成りすまそうと考えたが、残念ながらそれは全くかなわなかった。私の身分はジャーナリストで、日本語が話せないし、国籍も滞在許可証に明記されていたし、外国人の風貌からして厄介で、福島第一原発には入れてもらえないのだ」

 そこで原発事故の除染・廃炉作業に携わる清掃作業員・除染作業員ら労働者、“棄民”とさせられた元住民、たちへのインタビューを通じて現実を明らかにしていこうと仕事を始めます。もちろん東京電力本社の社員やいわゆる「原子力村」の面々にも独自の取材で迫っていきます。そこには、国際オリンピック委員会が2013年に20年のオリンピックの開催都市を東京に決定する直前、安倍首相が「状況はコントロールされています」と大見えを切ったことに対する驚きがありました。なぜなら「福島第一原発ではこのとしずっと、漏水、事故、故障や損壊などが連続して起きていた。私は連続する事故を追いかけているうちに、ついに廃棄解体作業のカオスの濁流に呑み込まれ、わけが分からなくなってしまった」という現実に迫っていたからです。

 著者はさらに語ります。「「廃墟と化した原発を維持管理するには何千人もの人手が必要である。・・・この作業は少なくとも2040年まで継続されるが、その見通しもこの上なく不条理なものだ。なぜならこの作業員たちは何も生産しないし、なにも建設しないからだ。逆に彼らは、潰し、壊し、片付けを続ける。解体し、破壊し、除去する仕事が待っている。何十年にもわたり、引き算の労働を続けるのだ。実に不可解で憂鬱な話である。ましてや、根を下ろして生きてきた故郷の村が荒れ放題の無人の荒野と化し、広大な放射能汚染休耕地になってしまった現実はどうするのだ。この土地で生まれた人に何を選択せよというのか?」

 そんななか著者は現場で働く若者に接触します。原発で働く労働者の口は概して固いのです。上司の監視があり、トラブルを避け、解雇を恐れ、ましてやジャーナリストに話すことなどとんでもないという空気が現実なのです。ある日の午後著者は、コンビニでショウタという20歳の作業員と接触し話を聞きます。青年は、「冷却システムと、穴が開いて腐食し汚染した貯水槽の排水パイプの交換」に従事し、全面的に炉心溶融していた原子炉1号機を収容している建屋付近で作業していました。放射線量が1日に1ミリシーベルトを超える、放射能に強く汚染されたゾーンの近くの作業とのこと。過剰に被爆しないようそしてストレスと疲労を防ぐため彼の日課は3時間となっていると」説明します。

 ショウタは語ります。「ここで何が起こっているか満足に語られていない。福島の作業員はほったらかしにされている。使い捨て人間だ。雇って、使って、役に立たなくなったら捨てる。僕も同じで、使い捨てだ」ショウタは双葉郡広野町の生まれ。福島第一原子力発電所から20km圏ラインのすぐ外に位置する広野町は、原発事故収束・最前線の町となりました。広野町の最北部に位置する「Jヴィレッジ」が東京電力や自衛隊の前線基地となり、全国各地から廃炉や除染にあたる作業員が集まってきたためです。この時点でショウタはまもなく年間被ばく量上限の20ミリシーベルトに到達する状態でした。結局ショウタは作業現場を離れても、また広野町か隣町の除染作業か建設現場に戻ることになります。

 著者は地道に現場で働く人々、東電関係者、技術者たちの声を拾い上げていきます。その中で作業労働者が東電からの下請け、孫請け、孫孫請け、さらに幾層にも重なった構造の中で、放射能に対する危険性の説明もなく働かされていることを明らかにします。健康診断や追跡調査とも無縁です。ピンハネされる不当な賃金、労働基準法違反が堂々と行われる環境の中で、汚染水処理対策の先が見えていません。

 日本のマスコミでも地道に福島の現状を定期的に追っている人もいます。しかしいわゆる大マスコミは何か大きな事故が起こらない限りそんな現実を知らせることはありません。ロボットを利用してもあまりに強い放射能で故障するなど、炉心溶融の事態も実はまだきちんと捉えられていません。莫大なお金と何十年かかるかわからない時間を費やしても元には戻りません。そんな現状なのに政府は原発の再稼働を次々に進めようとしています。ゼネコン・商社を含んだ原発輸出も堂々と口にしています。

 この著書一つで何かがすぐ変わるわけではありませんが、少なくとも原発事故を風化させない意思を少しづつでも明らかにすることが必要でしょう。
  

   
 17年8月24日
 スポーツの話題です。オリンピックの翌年(つまり今年ですが)は、例えばロンドンで開かれた世界陸上選手権のように(世界陸上は2年ごとの開催ですが)各スポーツの世界選手権が開かれます。卓球や柔道もそうですね。そして18年のW杯に向けての予選が佳境に入るのがサッカーです。

 国際サッカー連盟(FIFA)は世界各国以外に地域のサッカー協会も加盟を認めていますから、その加盟総数は211で国際連合の加盟国数(193か国)を超えています。それほど巨大ですから動くお金も莫大なものになり、賄賂、汚職、不正流用などで幾たびも捜査当局の手が入っています。しかしそれでもなお4年に1回開くワールドカップは世界の人々は熱狂しますし、さらに大きなお金が動きます。

 そんな本大会に向け日本チームもアジア地域出場枠(4枠+プレーオフ進出1枠)突破を目指して8月31日にオーストラリアと、9月6日にサウジアラビアと対戦します。どちらかに1勝すれば出場は確定するものの、オーストラリアは今のところ日本より実力は上と見なければならないし、サウジアラビアとは相手国での対戦ですからその暑さも考えるとそう簡単には勝てない相手です。ですのでこの2国の後塵を拝しBグループ3位になり、Aグループ3位との対戦、そしてさらに北中米カリブ海予選4位のチームとのプレーオフを経てようやく出場権を獲得、という路線を歩む可能性が十分にあります。

 まあしかし、冷たいことを言うようですが日本が出場してもしなくても2018年のロシア大会はある意味歴史に残る大会になりますね。というのもロシア大会の次(2022年)が中東のカタールでの開催となっているからです。通常ワールドカップは6月から7月にかけて行われますが、この時期のカタールは40度近くの暑さになりますね。普通ではまともなサッカーはできません。ですのでカタール当局は全ての競技場を冷房入りにするといっていますが、参加32か国の選手が練習する場所、移動、1か月にわたる生活、などを考えたときにこんな夏場でまともなプレーができるはずがありません。

 それではということで12月から1月の冬の季節に開催はどうかと提案されているんですが、これには欧州でリーグ戦を行っている各国のクラブが、一番佳境に入る時期に中断されるのは興行面などいろんな面で不適切だと反対もしています。まあいずれにしてもスポンサーのお金も絡んでまともに大会が運営されるかどうか未知の世界と言えるでしょう。それにその次の26年大会からは参加国数を現行の32から48に増やすというのですから、参加国のレベルの差から勝負の面白さは今までとは全く違ったものになります。

 つまり一定程度の面白さと熱狂さがまじりあい、いかにもスポーツにおける世界最高峰の大会だと言える運営が来年のロシア大会で終わるということです。まあさらにお金が絡むとどういう展開になるかわからないところもありますが、実情はそういうところです。ですので日本が出る出ないにかかわらず、サッカーワールドカップの転換期ということで別の意味で楽しむのもいいかもしれません。
 

   
 17年7月25日
 昨日(24日)と今日、閉会中の国会審議が行われました。例の会計学園問題を中心とした安倍政権への追及ということですが、筆者は衆議院及び参議院のインターネット審議中継を見ています。一般の会社員ではNHKのTV中継を見ることはできませんし、まあ仕事中にインターネットも見ることもできないのが普通ですが、やはり中継というのは違います。

 新聞報道などではいわばエッセンスという形で短く質問・答弁が書かれるわけですが、それと答弁者の表情もわかる質疑応答というのはいわば別物ですね。人間の表情というのは豊かなもので、いやな質問がくればそれなりの表情が無意識に表れるものです。それでTV中継であろうとインターネット中継であろうが表情を見るのが面白いのですね。

 ところが今回のインターネット中継では音声ははっきり出ているのですが、画像が鮮明に表示されません。通常の国会では割とはっきりと画像も出るのですが、これはやはり接続する人が多くて画像が不安定になったのでしょう。それだと関心が高いものです。もちろんですからこういう特別な場合だけでなく、できるだけ通常の国会審議もチェックしたいものです。

 さて話は変わって、暑い夏ですが、通常秋・冬に行われるサッカーやラグビー、アメリカンフットボールなどの球技がこの日本の夏場におこなわれています(もしくはおこなわれる予定)。サッカーJリーグの場合年間のスケジュールで仕方がないのですが、これまで9月から開始された球技が8月に前倒しされています。それぞれの競技団体のスケジュールの都合もあるのでしょが、近年の尋常でない暑さの中で競技を行うのは選手もまた観客にも肉体的に大きな負担になります。

 満足できるプレーができなくて敗退してしまった時の悔しさはそれこそ倍加するでしょう。見る側も、最後は体力勝負で技術は関係なく決まってしまうなんてのは嫌なものですね。

 しかし3年後の東京オリンピックはまさにこの灼熱の夏の期間に行われます。1964年の東京オリンピックは10月さわやかな季節に行われましたが、今は7月下旬から8月がその期間になっています。これもTVやスポンサー、各国際競技団体の意向(ということはお金もという意味です)が絡んでいるわけで、要するに人気のあるスポーツの興行とできるだけぶつからないようにするためですね。

 欧州ではサッカーの新シーズンが8月下旬から始まりますし、アメリカでは人気のアメリカンフットボールが始まります。つまり秋だとこれらの人気スポーツの盛り上がりの時期にまともに重なるわけです。ということでオリンピックも時期をずらされたということでしょう。まあ夏のバカンス時期にTVも見てもらいましょうということもあるのでしょうが。

 ただでさえますます暑くなっている日本の夏ですが、そんな時期にきちんとスポーツの祭典ができるかどうか。オリンピックの理念や準備とともに、いろいろ考えてしまうこの暑さです。
 

   
 17年7月6日
 7月2日に東京都では都議会議員選挙が、兵庫県では知事選挙が行われました。もちろんほとんどの人の興味は都議会選挙に向けられたと思いますし、また結果も自民党の惨敗ということでマスコミを大いに賑わしています。まあそれらの論評については通り一辺倒のことも多いし、ここで改めて論評することはありません。

 で、注目したいのは投票率です。まず都議会選挙が51・27%で、兵庫県知事選挙が40・86%でした。この数字を見てどのような感想を抱くでしょうか。例えば都議会選挙は小池知事を支持する「都民ファーストの会」が新たに結成され、自民党との対立が告示前からもあおられていました。そこに国政では自民党と協力する公明党が都議会では「都民ファースト」と協力関係を結び、そして小池批判もする政党も含め、論点は数多くありました。それがほぼ半数の人が投票に行っていないのです。

 兵庫県知事選挙は4人の立候補者がありました。しかも今回は5選目ということで現知事の多選批判ということもあり注目を集めたはずなのですが、わずか4割の人しか投票に行ってないのです。何おか言わんや。身近な選挙でしかも論点はあり、候補者も複数いる、そんな選挙は自らの姿勢を示す絶好の機会のはずです。もちろん完全に意見の合う候補者はなかなかいないと思いますので、たいていの人は自分の考えにより近しい(まあほかの言葉で言えばよりましな)候補に投票するでしょう。

 特に東京都議会選挙を例にとれば、例えば築地市場の豊洲移転問題などは税金の無駄づかいや情報隠し、議員と官僚の癒着など、自治体が抱える典型的な問題でした。しかも前回都民自身が選んだ議員や都知事によってでたらめや政治が行われたいたのです。ならばその4年間をよく吟味し、自分たちの生活と街を守るためにはどうしたらいいか、その一つの手段としての選挙で誰に投票すればいいのか、などじっくり考えるべき課題であったはずです。

 兵庫県知事選挙でも4人の候補者が出ているのです。推薦する党派も違いますし、あるいは元首長経験者やマスコミに名が売れている候補者もいたのです。それが半数以上の人が投票所に行かないという選挙でした。地域における雇用の問題や子育て、社会保障や医療など、現状に満足できない課題は数多くあります。そんあな課題に対して何をどうすると表明しているのか、それをじっくり見て投票できる環境にあったはずです。それがこの低い数字です。

 しかし半数近くの人がそんな権利を放棄しているのです。情けないことだといっていいでしょう。そもそも自分たちが決めるという意思表示がなければ、“お前たちは任せたはずだ”と言われて勝手に物事を進めることを委託したことになります。少なくとも身近な地域の選挙では70%や80%の投票率があってしかるべきです。自らの意思をきちんと表明することの重要性を常に考えましょう。
 

   
 17年6月22日
 国会が閉幕しました。会期終盤、あれほど問題が指摘された「共謀罪」が、なんと委員会採決を省略して参議院本会議で可決され成立しました。この手続きは前代未聞でした。この審議する委員会の委員長が公明党所属であるため、東京都議会選挙を控えた時期に委員会での強行採決で公明党が矢面に立つ姿をTV放送されるのを避けるため、などというまことしやかな“裏話”がささやかれるような、国会での多数の力を恃んだ行為でした。

 改めて確認しておかなければなりません。提出された法案は「組織的犯罪処罰法改正案」(「テロ等準備罪」法案)で、政府は「国際組織犯罪防止(TOC)条約の締結にはこの法案の成立が必要」と説明していましたが、そもそもTOC条約とはマフィアを対象とした条約でありテロ対策を念頭に置いたものではありません。また日本では例えば「殺人予備罪」や「爆発物取締罰則」、「銃刀法」など既存の法律があり、これまでもそれらを活用してきましたので、関連する法律はすべて実施済みだといっても過言ではありません。

 しかし安倍政権は、「この条約(TOC条約)を締結することができなければ、東京オリンピック・パラリンピックを開けないと言っても過言ではありません」などと無関係のオリンピックを持ち出し、立法目的を捻じ曲げてしまいました。また「テロ等準備罪の新設により、捜査機関が常時国民の動静を監視する監視社会になることはありません」などと答弁しましたが、政府の答弁によっても「テロを準備している」と証明するためには常時監視や情報収集が必要になります(まさか向こうからテロを準備していますと明らかにすることはないですからね)。準備行為は捜査当局の判断によるものとなっていますので、結局何のかのといっても治安維持の目的で全面的な監視が必要になるわけです。

 こんな危ない法律が“数の力”によって成立したわけです。「共謀罪」は過去3度国会に提出され廃案になってきました。そこには大きな批判があったからです。つまり言われるところの、『「実行行為がなければ犯罪は成立しない」という歴史的に確立された刑法の大原則を、この法案がおかまいなしにひっくり返そうとしているからだ』ということであり、この共謀罪の概念が『二人以上の人間が犯罪行為について話し合った時点で、なんと犯罪が成立してしまう』から『人々の日常のコミュニケーションが犯罪化される』ということなのです。そしてもう一つ、『すべての通信が捜査対象になる監視体制』につながるからです。

 もちろん“数の力”といっても、それは日本国民が選挙で選んだものだから文句を言う筋合いはない、などという主張があるかもしれません。しかし安保法制や今回の共謀罪にせよ、選挙時に公約されたものではありません。無制限の委託ではないのです。この間、政権内部からは居丈高な発言が多く聞かれます。批判を聞かないどころか、会計学園問題における前川・前文部次官の私的な行動をあたかもスキャンダルであるかのようにリークし個人攻撃をする、そんなえげつない行動にも出ています。

 そして何度も指摘しているように、新聞やTVなどマスコミが政権をきちんと批判するのではなく、むしろ幹部が安倍首相と頻繁に会食するような政府べったりの姿勢を示す社も多いのです。近々の世論調査では政権支持率が大きく下落しました。しかし国会はすでに閉会で、野党が要求している閉会中の会計学園疑惑解明ための審議に与党は応じようとしません。時間がたてば忘れやすい国民だから世論調査の不支持なんてきえてしまうよ、といった考えなのでしょう。

 ならば忘れないでおきましょう。“数の力”というのなら、選挙でそんな勢力には議席を取らせない行動を起こせばいいのです。私たちが行える最低の行動を行使すればいいのです。いつもどんな発言をし、どういう行動をするのか、じっくりと見守りましょう。
 

   
 17年6月10日
 マスコミの報道のあり方、そして国家における政治家と官僚組織のあり方、世論に現れる国民意識や生活の実感、そして何よりどういう社会を形作るのか、などの問題に赤裸々な実態が現れたここ数ヶ月ですね。

 「会計学園」の獣医学部設立に関する疑惑では、文部省が突然再度の部内調査をおこなうと発表しました。獣医学部を新設する計画について文部科学省が内閣府から「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」といわれたとする記録を文書として残していた事が、前川・前文部次官の証言で明らかになっていました。国民のほとんどは官僚組織なの実態を事細かに語る前川・前次官の言葉を信用したのではないでしょうか。

 しかし当の官邸はこれらの文書が怪文書みたいだと声高々に否定。菅・官房長官にいたっては記者会見場でし前川・前文部次官への個人攻撃をおこなっています。そして時期を同じくして読売新聞に「前川・前文部次官が在職中、売春や援助交際の場になっている歌舞伎町にある出会い系バーに頻繁に出入りしていたことが関係者の取材で分かった」との記事が掲載されます。前川・前文部次官本人も出入りは認めていますが、「売春や援助交際」の証拠や事実を何ら示すことなく、文脈でそのような行為にはまっていたはずだ、というような憶測になるような記事の書き方でした。

 もちろんこのような記事は読売新聞だけで他の新聞には掲載されていません。明らかに個人攻撃をするような記事は歴然で、読売新聞社には抗議の電話が多く掛かってきたといいますが、それこそ「関係者」が官邸でその意図を受けてリークされた記事を書いたということは暗黙の了解となっています。情けない話です。まあ、「次官在職中の職務に関わる不適切な行動についての報道は、公共の関心事であり、公益目的にもかなうものだと考える」と大見得を切っても、それでは公益目的に適う「森友学園問題」、「会計学園」問題についてどれだけの追及をしたかを見れば内実は明らかですけどね。

 安倍首相と自民党の機関紙みたいだと揶揄されていますが、実際安倍首相と読売新聞尾の社主や政治部長といった役職は他のマスコミに比して頻繁に会食しています。会食して重要な情報でも手に入れているかといえば、何ほどのこともないリーク記事やヨイショ記事を書くといった官邸べったりの姿勢です。前線をを走り回る記者もこれではたまったものではないでしょう。

 いずれにしても露骨なやり方が反発を招いたのは明らかです。ただ今回文科省の再調査もいつまでに行いどのように発表するかなどは曖昧になっています。もうすぐ国会期末になります。国会が閉会すれば論議もおこなえないし、またいつものように自然消滅するだろうなどとと松野・文科相(や政府首脳)が考えているかも知れません。

 しかしあくまで真実は何かを追及する事がマスコミの役目。新聞やTVでどの媒体がきちんと対応しているか、真剣に見るべきですね。また保守党が圧勝する事が予想されていた英国の総選挙で、保守党が過半数割れをしたというように、国民が選挙などで意思をきちんと表明する事が間違った政策をただす最低の行動になります。じっくりと見守りましょう。

   
 17年5月20日
 衆議院法務委員会での強行採決と国会期間延長で政府・与党は「共謀罪」の成立をおこなおうとしています。「現在の治安維持法」とも批判されている「共謀罪」は、要するに犯罪の準備行為をした団体や人物を逮捕しようとするもので、国会の論議ではその取締り対象や取締りの条件、対象となる犯罪などについて、曖昧で拡大解釈が可能であり、大きな問題があると指摘され続けてきました。国会での金田法務大臣の答弁が全く要領を得なかった事はTV等でも明らかでした。

 実際、参考人質疑出意見を述べた漫画家の小林よしのりは「共謀罪の非常に危険なところは、ものを言う市民が萎縮し民主主義が健全に成り立たなくなることだ」と指摘しており、また日本ではすでに「テロ資金提供処罰法」やその他の法律によって立法的に手当てされているという刑法専門家の指摘もあり、必要性やその根拠が全く曖昧のままになっています。しかし政府・与党は2020年の東京オリンピックの開催に必要(?)などと、オリンピックの政治的利用も前面に打ち出して成立させようとしています。

 過去「共謀罪」3度国会で提案されましたが、いずれも廃案になっています。警察の捜査手法の拡大や国民への監視が不適切だとの理由です。しかし安倍政権は自身への(マスコミ調査による)支持率の高さと多数の議席数という数の力によって、批判などどこ吹く風です。そしてその姿勢は「共謀罪」だけでなく、自らの疑惑に対してより顕著になって出ています。

 「森友学園問題」において一方の当事者である籠池・前理事長側の証言に対して、否定するなら例えば安倍夫人が証言台に立つかあるいは(おそらく隠蔽したままであろう)実際に携わった官僚組織の対応記録などを提出すべきです。しかし野党側が資料を請求しても真っ黒に塗った資料を提出するか、そんなものはなったと否定するかだけの対応でした。国会での財務省官僚の答弁は木で鼻を括ったようにひどく、国民の財産を守るなどというような気持のかけら一つも見えませんでした。

 いま新たに問題になっている「会計学園」の獣医学部設立に関する疑惑は、それ以上に露骨で権力の私物化・濫用を示すものです。獣医学部を新設する計画について文部科学省が内閣府から「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」といわれたとする記録を文書として残していた事が明らかになっています。当の官邸はこれらの文書が怪文書みたいだと否定していますが、文書の中で実名で搭乗する北村直人・元自民党衆議院議員は「文書の中に書かれていることは事実だ」と語っており、当事者の言葉から言えば信憑性は明らかです。

 ようするに、過去50年間認められなかった獣医学部の新設が、安倍政権が国家戦略特区として指定した地区に、37億円相当の市有地が無償で提供され、事業費の192億円の半額96億円が県と市で負担するという事業が、安倍首相の長年の友人で「腹心の友」と呼ぶ理事長が務める学園に認可されあっという間に進められたという事です。この学園より熱心で計画にも疎漏が見つからない他の大学の申請を一顧だにせず、むしろ申請を潰すような条件をつけてまで(京都産業大学の申請)押し進めたということです。

 もちろん日本獣医師学会との関係(獣医師の人数を増やさないように要請)で50年間新規学校(学部)がみとめられなかったということもこれまでの政治家と官僚の癒着からして問題なのですが、今回は露骨に力を誇示しています。それがまた国民の意志とは無縁に、官僚組織の意図として下部にまで伝わっていくことに恐ろしさを感じます。自らの権力の誇示と利益で動く政治がどれほどの被害を国民に与えるかは、過去の歴史例もまた世界のある国々の実態を見ても明らかです。明確にノーといえる意志を示すべきでしょう。


   
 17年4月28日
 「森友学園問題」の根は今の政権の政治姿勢や官僚組織の独善性にあることはだれもが分かっていることです。また新たな事実が森友学園側から次々と明らかにされていますが(当たり前ですが当事者であり、ハシゴをはずされた立場としては全てをさらけ出そうと思うでしょう)、残念ながら新聞やテレビの報道は一過性の報道となり、その本質をいつもずらす結果になります。

 それは今国会で審議されている「共謀罪」の法案についても同じことです。共謀罪法案の、国民監視と有無を言わせぬ検挙を可能にする内容の危険性はあちこちで指摘されています。当のマスコミでさえその対象となりうるのに、相変わらず“客観的に”“賛成・反対の双方の意見を羅列する”内容となっており、危険性のゆえ反対の姿勢を示す事などは夢のまた夢となっています。いかにも“問題ですねえ”などとニュースキャスターが簡単に述べるのを見ていると、マスコミの本来の役割というのはもう忘れ去られているのだと感じざるを得ません。

 この4月26日に国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」が各国の報道の自由度に関する調査結果を報告しました。日本は180国のうち72位で、いわゆる先進国の中では最低の位置にいることが示されました。調査は「安倍政権下で成立した特定秘密保護法などを機に報道に対する抑圧がさらに強まったと批判。大手メディアが政権の意向に配慮して『自主規制』を続けていると指摘した」とのことです。まあ自由度とはどのあたりを指していうのか、いろんな意味にも取れます。人によっては日本では憲法で言論の自由が保障されているではないかと言うかもしれませんが、たいていの国の憲法にはそのような条文は書かれています。しかし問題は実際にどうなのかということですね。
 
 森友学園問題や共謀罪に関する報道を見るだけでも明らかですね。これは“忖度”がどうのという問題ではなく、実際にあるがままの実態を伝えようとする団体や個人を敵視し、圧迫を加えるこがおこなわれているという事の証左でもあります。大手マスコミは官庁や警察などの「記者クラブ」に加入して守られていますが、結局は「記者クラブ」に流される情報を垂れ流すだけの官製報道に堕する危険性にどっぷりとつかっています。そしてこの報道の自由度というのは決してマスコミだけに限られる問題ではないということです。報道の自由度がない国ではほぼ国民の日常生活が不断に圧迫されているという現状があるからです。

 例えば、北朝鮮は上記の調査では最低の180位となっています。当然国内でも“政権批判”などというものは存在させられません。しかし、それはそういう国の体制だからだといって済まされるのでしょうか。例えばかの国核問題で今にもミサイルが日本に落ちてくるような危機感を安倍政権は煽っていますが、煽るのではなくそんなときこそ国際社会に呼びかける冷静な外交が必要と、正論をどれだけのマスコミが伝えられるでしょうか。抑圧は生活のあらゆる場面で具体化します。今は姿を表さなくても、じわじわと必ず現れてきます。日本ではちょっと前の時代にそんな経験しているではないでしょうか。

 4月27日にはジャーナリストやあの(!!)漫画家の小林よしのり氏らが共謀罪反対を表明する記者会見を開きました。「多くの人は自分たちとは関係ないと思っているかもしれないが、そうではない」と述べたそうです。きちんと意見を表明するという当たり前のことができる社会かどうかです。

   
 17年4月7日
 一時マスコミを賑わした「森友学園問題」も下火になりかけています。その形として現れているのが籠池理事長(当時)を刑事罰に問い、そこでその問題を幕切れさせようとする意図です(もちろん今それができる権力を所持している側の意図といえますが)。しかし問題は決して彼個人にあるのではない、というのはこの問題の経過を見てきた国民の率直な意見ではないでしょうか。

 もちろんこの問題で名前が出てきた個々人の行動がその本質の基盤となっているかもしれませんが、大きく流れを作っていったのは財務省と大阪府であり、そこに関わる官僚と政治家の動きです。そしてもう一つの問題が幼稚園児に教育勅語を暗唱させるような教育と、それを平然と擁護する者達の存在です。

 財務省の理財局に不当な国有地売買の責任があるのは誰が見ても明らかですが、当時の迫田・理財局長は当時の交渉の経過を記したものは破棄してない、と知らぬ存ぜぬを通しています。しかし「迫田・理財局長は安倍首相と同じ山口県下関市出身で、土地取引の直前異例なほど官邸に出入りして安倍首相と会っていた。問題の値引きが決まった森友学園関係者と財務省近畿財務局が話合いを行った前日にも、迫田・理財局長は安倍首相と打合せをしていた」とされています。
 
 “忖度”という言葉がこの問題ではよく使われています。単純な両人の関係以外に、財務省が省益をかける消費税増税(安倍首相は1度延期している)の実現のため官邸に働きかけているという事情があります。それらの事情があいまっていとも簡単に国有財産がほとんどただ同然に払い下げられる事になったのです。実はこんな事情はマスコミ関係者にはよく知られていることだそうですが、何故かこの辺の事情を詳しく追求した報道はでません。

 それはなぜかというと「迫田・前理財局長がいま国税庁長官についているから」だそうです。財務省を追求すると“税務調査”で報復されるからというのです。新聞社には販売店への報奨金関係野のグレーの部分があり、また税務調査となると記者一人ひとりの領収書を徹底チェックするなど業務にも影響するような調査で、新聞社などはお手上げになるそうです。そのため徹底した追及ができない、ということになるそうです(この項、ニュースサイト/リテラの記事参考)。

 まあこれらの内容が100%真実かどうか。それは当の官僚(および政治家)の動きを見ればよくわかることです。籠池・前理事長を証言の場に呼んでも、財務省側は当時の情報もきちんと出さずに全く関係ないという態度を取っています。官僚組織が我が物に国有財産を処理する、あるいはお金や権限を一部の層の利害の為に使用する、という発想は全く変わっていません。

 こんなことがまかり通るのが現在の日本の国家組織だとするならば、国民は暗澹たる気持になります。何をどうすれば変わるのか。まずは赤裸々にされた問題は決してうやむやにしてはいけないということをずっと持ち続けること、そして選挙であれ直接的意見表明であれ、必ず自分の意志を表明することという最低のこうどうを行うということでしょうか


   
 17年3月11日
 本HPでも伝えていますが、4月30日にクレオ大阪中央ホールで「第5回中国音楽フェスティバル」が開催されます。基本的には中国楽器や中国音楽を楽しんでいる団体・グループが一堂に会して演奏し、互いに交流を進める趣旨でおこなわれるものです。ですので参加条件制限は特になく、今回は23団体290人近くが集まります。

 もちろん国内外の区別もなく、これまで中国・上海やシンガポール、マレーシアなどからの参加もありました。台湾からも参加意向は何団体から出されていたのですが、日程や費用の関係で実現しませんでした。音楽交流となると楽器の搬送の問題や楽団員が全部そろうかなど、些細なことでうまくいかないことがあります。必要なのは早い時期からの連絡の積み重ねと受け入れに際しての柔軟な対応でしょうね。

 さて一般的な文化交流の話として、相互の団体(や個人)思惑とは別に、単純にうまくいかない場合もあります。つまり“国際情勢”というものです。日本側が受け入れに何の条件をつけなくても、政治情勢による政治判断ということで、当局の暗黙の指示が出る場合があります。今の情勢で日本へ行くな、などと。文化交流はたとえ相互の団体や人間が純粋な交流だと考えても、それが与える影響を“政治判断”する組織が必ず出てきます。そういう意味では文化もやはり政治からは離れることができません。

 話は変わりますが、いま大阪では「アジアン映画祭」が開かれています。アジア各国の映画(一般の劇場ではほとんど輸入・公開されません+日本の若手監督の映画など)が上映されているのです。マレーシア、フィリッピン、インドネシア、タイ、ベトナムなど普段本当に見られない映画です。中国や香港映画もかつてはよく公開されていたのですが、今ではなかなか見られませんものね。

 で筆者は、その中の「私は潘金蓮ではない」という中国映画を見てきました。実はこの映画の原作を先に読んでいたのです。劉震雲の作品で、彼は他に「盗みは人のためならず」「温故1942」などの作品を書いており、日本でも翻訳出版されています。「私は潘金蓮ではない」は、1介の農村婦人が自身の離婚(ここは住宅や一人っ子政策の問題が絡んでいる)・結婚に関して理不尽に問題を押さえ込もうとする、県・市・省、更に中央政府の役人達(いわば官僚組織です)との長年にわたる訴訟活動とその対応を描いています。自分が納得いかないことには決して地域の権力者の言うことは聞かない主人公と、自己保身と上部組織への覚えに汲々とする役人達の姿をユーモアに包んで描いています。

 映画ではその主人公を范冰冰が演じ、監督が「女帝(エンペラー)」「戦場のレクイエム」「唐山大地震」などを作った馮小剛となったら、これは見に行かないほうがおかしいだろうという事で行ってきました。やはりうまいですね。余計なセリフはくわえずに、主人公の村での様子は円形の画面に切り取り、北京へ訴えに行った時はやや縦長の四画の画面に、そしてラストのほうでは通常の映画の横長の画面に変えて表現しています。もちろん原作のほうがよりリアルに官僚の実態が描かれているという事はありますが。

 いずれにしても文化交流をおこなううえで、映画祭みたいに話題になることもない、いわば隙間部分の交流となると、より一層余計な干渉に負けない覚悟が必要になってくるかもしれません。互いの信頼と信念で何処まで自由な活動を進めるかということでしょう。
 

   
 17年2月15日
 2月13日の毎日新聞・夕刊に珍しい記事が載りました。珍しいというか、本当はマスコミとして当然あってしかるべき記事なのですが、「首相が語らない結果とは」「安倍政権4年『不都合な真実』」を検証する、という記事です。「政治は結果が全て」と安倍首相が好んで口にするフレーズを、本当にそうかと、専門家の意見も紹介しながら書かれた記事です。

 例えば安倍首相は景気のよい話を持ち出す、と昨年12月13日の参議院厚生労働委員会での「もはやデフレではないという状況を作り出した」という答弁や、今年1月20日の施政方針演説での「3年連続の賃上げ実現」「名目国内総生産(GDP)44兆円増」「有効求人倍率が全都道府県で1倍超え」「世紀雇用も増加」「企業倒産は26年ぶり低水準」、という明るい話の裏にある『語られない事実にこそ目を向けよう』と指摘します。

 そして金子勝・慶応大学教授のデータにも基づいた話を紹介します。16年の全国消費者物価指数は前年比の0.3%減、企業物価指数は21ヵ月連続下落しています。2年連続減だった家庭の消費支出は昨年も減っています。「賃上げ実現」といっても15年まで4年連続の下落でした。金子教授は「有効求人倍率の上昇は、人口減で休職者がへっているからにすぎません」と語ります。「正規雇用の増加」は喜ばしいが非正規雇用が政権交代前より180万増えている現実があります。企業倒産は08年から減り続けていますが、休廃業・解散は安倍政権になってから増え、16年には過去最高の2万9583件に達したことは言及しない、と指摘します。

 また「女性活躍」は安倍首相が金看板としているものですが、世界経済フォーラムが国会議員の男女比や賃金格差などをもとに各国を順位付けした「男女平等ランキング」では、2010年に日本は94位でしたが16年には111位になっています。安倍政権が15年に作った「女性活躍推進法」は結局は社会政策としての男女平等や男女共同参画ではなく、労働市場に女性を参加させるためのものでしかない、しかも非正規労働者の7割を占める女性の低賃金対策もなされていない、と批判しています。

 考えてみればきちんと過去からの経過と統計数字を精査して客観的な批判を行うことは基本中の基本ですが、何より事実を事実として伝えない、あるいはワザと歪曲して伝えることが多い、というのが昨今の情報伝達でしょう。特に公権力は自らに都合のいい施策を進めるために国民に大事な事は伝えないという“情報非公開”があまりに多いのも事実です。実はマスコミはこれに対抗してこそ価値があるにもかかわらず、残念ながらほとんどの大手新聞はいわば情報垂れ流しの状態です(ちょっと厳しい言い方かもしれませんが)。

 アメリカではトランプ大統領の顧問が大統領就任式に訪れた人数について「史上最大」と発言、それを別の側近が「もう一つの事実だった」として擁護したこと出大きな批判を浴びています。つまり明白に事実と違うことや政治の嘘がこの発言、「もう一つの事実だ」ということで違うことが前提となっていくのです。つまり嘘がまかり通るということです。こうなると現実を支える人々ではなく、政治力、経済力などなど力の強い集団の思うがままの情報におどらされることになるのです。日本人はすでに戦前、「大本営発表」という虚偽を経験しているのですが・・。

 アメリカでは入国禁止の大統領令に対して連邦裁判所が無効の判断をだすなど、3権分立で司法が独立の立場を守っています。また音楽家や芸術家など社会的に影響力のある人が自らの信念に基づいて発言をしています。事実をどう伝えるのか、またその事実に基づいて何を発言するのか、より厳しい状況になるかもしれませんがまずは地道に伝えていく事でしょう。

   
 17年1月24日
 米大統領就任式は予想通り少し荒れましたね。間接選挙ではあれ国民投票によって選ばれた大統領に対して、公然と異議申し立てをする人が行動がこれほど多かったのは過去にもなかったのではないでしょうか。それほど米国民自身もこれから現れるかもしれない近未来の社会に危惧を持っているということでしょう。そしてそれは他の国にも広がっています。

 さてそんな米国ですが、この時期注目されるイベントがあります。それはアメリカンフットボールの、スーパーボウルです。アメリカンフットボールは32チームが2つのリーグでレギュラーシーズンの試合を行い、そしてプレーオフを経てそれぞれのリーグの優勝チームが米国一を決める(ということは世界一でもあるのですが)試合をおこないます。それがスーパーボウルです。今年は2月5日テキサス州のヒューストンでおこなわれます。

 何しろTVの視聴率も40%を超えます。そもそもチケットが取れないので家で見ることになるのですが、チケットは平均で3千数百ドル(およそ40万円)で、特等席は数百万円するというのですから世界最高額でしょう。その上スポンサーやチーム関係者などが優先ですから、一般がチケットを手に入れるのは至難の技です。それでこんな話も生まれました。FBI(や警察当局)が指名手配の犯人の関係する住所に“スーパーボウルチケットが当選しました”という手紙を送り、それを信じてチケットを取りに来た犯人を見事逮捕した、というのです。

 それほど特別な試合なのです。そして試合以外でも人々の目を引くイベントが行われます。試合開始前の国歌斉唱や試合の合間におこなわれるハーフタイムショーには、それこそ有名な歌手やタレントが出演します。過去、国歌斉唱にはビリー・ジョエルやマライア・キャリーらが出演しましたし、ハーフタイムショーにはマイケル・ジャクソンやエアロスミス、U2、マドンナ、ビヨンセなどの超一流アーティストが出演しています。今年のハーフタイムショーにはレディガガが出演するといわれています。

 レディガガはトランプ大統領の政策に対して反対の意思をはっきり表明していますし、抗議の行動にも参加しています。ですので、スポーツの祭典ですが、今年はいわば米国民にとって、トランプ大統領就任後の一時的な休戦時期にあたるかもしれません。すでに株価や通貨は新大統領の政策の先取りということで動いているようですが、改めてどんな政治が展開されるのか、そしてそれに対する反応も気になります。たとえ投票によって選ばれた大統領でも、今日の社会を形作ってきた自由や民主、権利の擁護を砕くような行動は許さないとする国民の意思は大事なものです。

 レディガガのような歌手や有名人が自らの政治的立場をはっきり表明している事は見習うべきですね。決して他国の出来事ではないはずです。何が守られ何が破壊されようとしているのかを、日常生活の中から常に見ておくことが必要です。 

   
 17年1月11日
 さてさて新しい年を迎えました。昨年のトランプ・次期米大統領の誕生があったことや、今年は欧州で幾つかの選挙があることなどから、マスコミでは年初から「2017年はどうなる!」「2017年の世界を予測する」などの文字が躍っていましたね。しかし昨年の米大統領選挙ではマスコミの多くはトランプの当選を予想していなかった(あるいはそう予想するのを嫌った)ことを思い起こしてみると、これらの予測の内容に多くは期待できませんね。

 ということでいま1度これまでに流布されてきた事柄が正しいのか、と考えてみる必要がありますね。例えば経済成長率や円安誘導、福祉と増税など、それこそ“生活向上のために必要だ”などと喧伝されてきました。しかし、個々の社会や家庭では差があるのは当然で一般的にはいえないにしても、今の社会で3%も4%も成長率を上げる事に意味があるのかと考えるほうが自然です。毎年模様替えをするような電化製品は本当に必要なのか、衣服にしても家庭用品にしても何年も長持ちする良いものを少し持つほうが“狭い住宅”の負担にはなりません。

 円安誘導で企業が潤った、だから給料も上るのだなどとマスコミで宣伝しても、実際は一部の企業だけで、非正規社員が増えて実質賃金はマイナスになり格差が大きくなっていることも実感されていると思います。一般国民にとっては円安より円高がいいのに決まっています。食料や石油などを輸入に頼っている日本は円安で物価が上っており国民の懐は細る一方です。円安で潤うのは一部の企業だけであり、実際は円高で移行する方が国民生活にとってはメリットが多くあります。

 身近な生活の周りに楽しみを見つけていき、そこにお金を使うということでも充分です。そんなことばっかりやっていると社会がジリ貧になって衰退するぞ、という声が聞こえてきそうですが、心配する事はありません。社会の基本方策として例えば税金の多くを教育と科学に使えば、新しい産業や環境を害することのない発展の設計図が生まれてきます。夢ごとではありません。むしろ今必要なのは消費一辺倒でない、世界をリードする新しい価値観を生み出す事でしょう。

 とはいうものの、米大統領選挙や日本の政治の現状を見ると、現実的には古い価値観で社会のあらゆる所に壁を立て、選別と排除が進んでいくような時勢になっています。言論においても気に染まぬ意見は大挙して排除するようなヘイト行為が目立ってきています。

 そんな風潮に染まらずに物事の後ろにある事実を見抜くようにするためには、やはり物に拘泥せずに身の回りをすっきりさせておくこともまず必要になってきますね。いろんな発想を展開できるように何事にも興味を持つという、まあ当たり前のことを積み重ねていくということでしょうか。年齢には関係ないですが。
 

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