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 音楽茶話室

この欄では中国音楽に関するトピックス、本やCD、楽器などに関するちょっと気のついた話題を(勝)が紹介します。<随時更新>

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今週の茶話(08.514
上海之春国際音楽節・二胡コンテスト

                           二胡コンテストのパンフ
 上海の春国際音楽祭の一環として二胡コンテストが5月5日〜7日まで、上海音楽学院・賀緑汀音楽庁で開かれた。1972年〜1992年の間に生まれた二胡演奏家を対象にしたもの(大学生から36歳までだから、青年演奏家)で、かなりの腕前を持っている音楽家が対象となった。

 なにしろコンテストの金賞1名、銀賞2名、銅賞3名と表象するのであるが、要綱によると賞金がそれぞれ3万元(約45万円)、2万元(約30万円)、1万元(約15万円)が送られることになっており、これはかなりの気合の入れようだとわかる。

 予選曲目の課題は「第二二胡協奏曲(王建民・曲」と「随想曲(高韻青・曲)」で、決勝は「二泉映月」となっている。いずれも難しいというか、それぞれの表現が試される曲となっており、これを見ても求められるレベルの高さがわかる。

 でそれよりももっと面白いのがこのコンテストの最終日に行われた記念演奏会である。何しろ演奏者と曲が、蒋風之「漢宮秋月」、陳春園「洪湖人民的愿」、段皚皚「チャルダッシュ」、閔恵芬「江河水」で、そこに日本から鳴尾牧子さんが参加して「葡萄熟了」と「行街」を弾いたという豪華さだった。

 まあ上海や北京ではこの手の音楽会、つまり著名な二胡奏者の演奏を生で聞けるという幸運にめぐり合うことが多いということで、日本の二胡愛好家からすればうらやましいの限りだろう。
 

今週の茶話(08.4.14)
上海東方藝術センターでの閔恵芬の二胡演奏

                           ちょっと写真が古いパンフ
 久しぶりに閔恵芬の話題である。歩くのが少し困難な体とはいえ、演奏に対する意欲は少しも衰えない閔恵芬は、3月29日に上海東方藝術センターで講演と演奏を行った(この項:Sさん資料提供)。

 “声腔覓韵”と題された演奏会で、閔恵芬のほか上海民族楽団から演奏家が出ている。“声腔”とは調子と拍子の意味で、“覓”は捜し求める、“韵”は音であるから、リズムと音がうまく合わさるような曲の追求と考えればいいのだろうか。

 パンフレットによると「器楽演奏の声腔化の由来」と題して閔恵芬が講演を行い、そのあと《洪湖主題随想曲》と《綉荷包》、《陽関三畳》、《游園》の演奏をおこなった。古筝、スオナーの演奏を挟んで再び閔恵芬が登場し、《打猪草》、《宝玉哭霊》を演奏、笛の独奏もあり、最後に《紅旗渠水遶太行》と《阿美族舞曲》を演奏した。

 パンフには次ぎのようなことも書かれている。「1975年(文革期間)、彼女に党中央政治局から京劇の伝統唱腔音楽を録音するようにとの通達が来て、そのために有名な京劇の芸術家の唱いを二胡で表現しなくいてはならなくなり、京劇界の泰斗である李慕良の指導を受けた。それが彼女の器楽演奏の声腔化の始まりであり、閔恵芬の演奏する“逍遥津”など8曲の京劇唱腔音楽は毛沢東、周恩来、葉剣英ら指導者の高い評価を受けた」。

 実際にどれだけこれらの“党指導者”が直接耳にして理解したかはわからないが、閔恵芬が二胡の表現力を高めようとして様々な音楽に取り組んだことはよく知られている。イズレにしてもいまなおその成果の一部でも直接耳にすることができるのは法外な幸せであろう。
 

今週の茶話(07.5.8)
上海之春国際音楽節開会と閔恵芬の二胡演奏

                       閔恵芬らが参加した演奏会のチラシ
 07年4月28日から5月13日まで上海で上海之春国際音楽節が開かれている。今年は「新作品 新感覚」がテーマのようで、開幕式には上海交響楽団が演奏し、閉幕式にはフランスの国家放送フィルハーモニック楽団が締めくくる予定となっている。

 上海の春といえば民族楽器の音楽祭典が過去開かれていたが、国際都市上海にふさわしくまた2010年開かれる万国博覧会を盛り上げるためでもあるのか、フランスやドイツ、ロシア、香港などから楽団、指揮者、演奏家を幅広く呼びんでいる。日本からはバイオリニストの中澤君子が5月11日に独奏会を開く予定である。

 また「新爵士在東方(新しいジャズは東方にあり」と題した催しには小野リサが呼ばれて演奏した。ボサノバのイメージがあるのだが、まあそんなことは余り気にしない。プログラムを見ると交響楽団の演奏が多く、民族楽器の演奏で目立つものといえば「東方魅力民楽女子組合」がカナダのジャズ楽団と共演するくらいで、民楽ファンには物足りないかもしれない。

 で、民楽の話で面白いのがあった。4月22日に開かれた「星期広播音楽会(ウイークリー・ラジオ・コンサート)と名づけられたコンサートで、“敦煌新語”というグループと閔恵芬(二胡)、王中山(古筝)、劉英(スオナー)、杜竹松(阮)のベテラン勢が出演したものだ。

 演奏曲目に敦煌古楽合奏《莫高窟的回響(莫高窟のこだま)》があったので、敦煌新語というグループは敦煌の古楽を演奏するために作られたのかと思えばさにあらず。上海民族楽器工場が生産している敦煌牌の民族楽器を使用して演奏することが眼目のようだ。メンバーは全員上海音楽学院と中国音楽学院乃卒業生で、民楽グループと打楽器グループがあるらしい。

 実はこの演奏会で閔恵芬は江南絲竹の「三六」と「二泉映月」を演奏したのだが、この二泉映月の演奏がこの欄で伝えたかったことなのだ。二泉映月を演奏した閔恵芬は阿炳の時代に良く使われていた二胡でこの曲を演奏したのだ。竹の筒に蛇皮を張った二胡で、音色も現在の二胡ほどはっきり伝わることはなくかすれ気味で、まるで当時の演奏を聞いているような気分だ(筆者は演奏会を見ていないが、東方多媒体というインターネットのサイトhttp://imedia.eastday.com/node2/node612/node623/node630/userobject8i75266.htmlでその一部を見ることができた)。

 味わいのある演奏が聞ける上海。二胡愛好家にとってもやや悔しい思いをするものだ。
 

今週の茶話(07.2.15)
中国第4回“長江下流地域”民族楽団演奏フェスティバル

音楽大師と呼ばれるメンバーがそろったフェスティバルの審査員席(前列左4が閔恵芬、同じく右2が王永徳)
 07年2月8日、上海宝山区にある宝辰体育館で「第4回“長三角”民族楽団展演」が開かれた。長三角は長江下流三角地帯、すなわち上海とその周辺地域をあらわすもので、上海音楽家協会と上海音楽学院が中心に主催する、中国民族楽団が一同に会するフェスティバルである。

 今年は48団体が参加。幼稚園、小学校から中学、大学、さらに退職教師の民楽団、また少年宮や街の文化センターの楽団、上海以外に太倉市、張家港市、余姚市などから様々な楽団が参加した。海外からは日本、台湾、マレーシアの計4楽団が参加し、日本の天昇楽団が上海中医薬大学(曲は十面埋伏)や上海国楽研究会(中花六板)、太倉市絲竹楽団(七月七)、松江雲間古楽団(什錦細鑼鼓)などかなりレベルの高い楽団と同じ時間帯で演奏した。

 天昇楽団はメンバーが13人、曲は「春花秋月」と「洗衣歌」の2曲。実は参加団体が多いことで時間がだんだん押してきて、午後の後半からは楽団によっては予定曲の2曲を1曲に減らして演奏という事態が生まれていたのだが、日本から来たということもあるのかしっかり2曲演奏することができた。

 体育館の演奏ということで音が拡散するのはやむをえないこと。しかしここはにこやかに審査員の方を向いて演奏を始める。太倉絲竹の曲である「春花秋月」は他に絲竹楽団もありやはり本場ということであまり反応はなかったが、「洗衣歌」はメリハリもつき演奏後は大きな拍手をもらうことになった。フェスティバルの総監督でもある王永徳からはフェスティバル終了後「よかったよ。特に洗衣歌は他の審査委員もよくできたといっていたよ」と声もかけられる。

 フェスティバルは結局夜の9時半くらいまで続き、その後表彰式をおこなった。天昇楽団は日本から来たもう一つの団体と共に王永徳、閔恵芬の両“音楽大師”から特別賞を授与された。

 フェスティバルに参加した団体はレベルが高く、聴くだけでも楽しいものだった。特に仙霞国楽団という団体は平均年齢が60歳を超そうかという老人楽団。しかし持っている楽器に大きな飾りをつけたり、年を感じさせない迫力ある演奏で個人的にはイチ押しの楽団だった。

 それにも増してよくそろったのというのが審査員席。特に閔恵芬は朝から晩までずっと聴いており(まあ体のことがあるから頻繁に出入りできないということ課か知れませんが)、最後に表彰式で賞状を手渡すなど元気な姿を見ることができただけでも感激ものであった。

 いずれにしても本場での演奏会に参加できたというのは天昇楽団にとっても大きな意味のあることだったといえるだろう。こんな積み重ねが音にも知らず知らずのうちに影響して聴く人を満足させる演奏にもつながることになるのだろう。

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