上海あれこれI 04.12.20
「中国共産党第1回全国大会址」
上海の繁華街である淮海中路の南側、淮海公園の近くに新天地という地域があります。香港資本を導入した再開発で、レンガを積み重ねた独特の民家建築である「石庫門」を改造し、そこにブティックやバー、レストラン、映画館などの施設を集中させた地域です。ガイドブックにも大きく載っていて、上海市民だけでなく観光客も買い物や食事に訪れる新名所です。
そんな新天地の一角に現代中国にとって貴重な建物があります。一大会址:中国共産党第1回全国代表大会址です。1921年7月23日、上海市望志路106号(現在の興業路76号)のこの建物で、中国共産党第1回全国代表大会が開かれました。のちに党を代表することになる毛沢東ら13人が参加した大会は、官憲の捜査の手が伸びたことで最後は上海を離れ、浙江省嘉興南湖に浮かべた船の中で会議を続行したと伝えられています。
早くから西洋諸外国が進出してきたこともあり、産業労働者が生まれまた知識人が集まってきた上海は、抗日の歴史においてもさまざまに名前をとどめていますし、文化大革命の時期でもいわゆる4人組の拠点として有名でした。また改革開放の流れを一挙に加速したのも上海の発展があってこそでしょう。
、つまり上海は中国と中国共産党の歴史にとっても節目節目に大きな役割を果たした都市であったのです。いま仕事であれ観光であれ上海を訪れて食事や買い物をしていると、どこの国にいるか一瞬わからないことがあります。つまり制限なく街を歩き好きなように活動できるという意味です。しかし中国は中華人民共和国の名が示すとおり、あくまで社会主義の国であり、中国共産党が統治をしている国なのです。
共産党第1回全国代表大会址
ですから歴史においても中国共産党の闘争が現代中国史となると考えていいでしょう。なぜこんなことを強調するかというと、05年が「反法西斯(反ファシズム)戦争勝利60周年」の年であり、中国にとっては抗日戦に勝利した祝いをする記念年でもあるからです。日中全面戦争の発端となった北京郊外の蘆溝橋にある中国人民抗日記念館は、記念年にあたって子供達に教育を行えるよう全面改装をはじめた、というニュースもすでに伝わっています。
上海も例外ではなく、日中戦争の故地で様々なセレモニーが行われるでしょう。経済的には熱くとも政治的には冷たいといわれる今の日中関係ですが、中国科学院が最近発表した中国人の日本に対して持つ感情の調査でも、日本に対して親近感を抱いているがわずか6%、親近感を抱いていないが54%を占め、2年前に比べると10%近く上がっているとの結果が出ています。「日本は侵略の歴史を反省していない」がその理由の6割を占めているとのことです。
つまり屈託なく振舞うのはかまわないとしても、隣国の歴史や政情、そして起こりうる問題を常に意識しておくことが必要ということです。にぎやかな新天地の中にある一大会址。一度はここを訪ねて、反映の裏側にある厳しさというものをなどを経験してもいいかもしれません。
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